2012年07月16日

◆帰郷叶わぬクニマス

渡部 亮次郎


秋田は生まれ育った郷里ではあるが、山の中の田沢湖には行ったことがなかった。

田沢湖。秋田県の中東部に位置する。最大深度は423.4mで日本第1位(第2位は支笏湖、第3位は十和田湖)、世界では17番目に深い湖である(世界で最も深い湖はバイカル湖)。

湖面標高は249mであるため、最深部の湖底は海面下174.4mということになる。この深さゆえに、真冬でも湖面が凍り付くことはない。深い湖水に差し込んだ太陽光は水深に応じて湖水を明るい翡翠色から濃い藍色にまで彩るといわれており、そのためか日本のバイカル湖と呼ばれている。

少年時代は鉄道も開通して無かった。それが50近くなってから頻繁に通うようになったのは、理事長として社団法人日米文化振興会のシンポジュームを毎年開催するようになったからである。

通うたびに地元の人たちt酒を酌み交わすようになって、人々が口にする言葉が「クニマスに逢いたい」だった。昭和15年、田沢湖の水で発電所ができ、それに伴って下がる水位を補う為、1940年1月20日より玉川の水を導入した。

その水は玉川毒水と呼ばれる塩酸を含む強酸性の水だった。1948年の調査では表層付近の pHが4.8前後と急速に酸性化し、1948年にはクニマスの捕獲数はゼロになり絶滅した。

現在ならば環境問題として大きく取り上げられるところであるが、当時は国家を挙げての戦時体制の真っ只中であり、この固有種の存在などが顧みられる事は全くなかった。また、1965年の水質調査でも、湖の全域でpH 4.5程度であった。

クニマス(国鱒、学名:Oncorhynchus nerka kawamurae)は、サケ目サケ科に属する淡水魚。別名キノシリマス、キノスリマス、ウキキノウオ。産卵の終わったものをホッチャレ鱒、死んで湖面に浮き上がったものを浮魚(うきよ)という。

かつて秋田県の田沢湖にのみ生息した固有種だったが、田沢湖の個体群は1940年頃に絶滅し、液浸標本17体(アメリカ合衆国に3体、日本に14体)のみが知られていた。

このため環境省のレッドリストでは1991年、1999年、2007年の各版で「絶滅」と評価されていた。

ところが2010年に京都大学研究チームの調査により、山梨県の西湖で現存個体群の生息が確認された。

きっかけは、京都大学教授の中坊徹次がタレント・イラストレーターで東京海洋大学客員准教授のさかなクンにクニマスのイラスト執筆を依頼したことであった。

さかなクンはイラストの参考のために日本全国から近縁種の「ヒメマス」を取り寄せた。このとき、西湖から届いたものの中にクニマスに似た特徴をもつ個体があったため、さかなクンは中坊に「クニマスではないか」としてこの個体を見せ、中坊の研究グループは解剖や遺伝子解析を行なっ
た。

その結果、西湖の個体はクニマスであることが判明したとし、根拠となる学術論文の出版を待たずして、12月15日にマスコミを通して公式に発表された。

1935年、田沢湖から西湖に送られたクニマスの受精卵10万個を孵化後放流したものが、繁殖を繰り返して現在に至ったと考えられている。

西湖の漁師には、この発見以前から「クロマス」と呼ばれて存在自体は知られていたが、「ヒメマスの黒い変種」程度にしか認識されていなか
った。

このため、西湖周辺では普通に漁獲されていたほか、一般の釣り客も10尾に1尾程度の割合で比較的簡単に釣り上げており、2010年以前にも「西湖でクニマスを釣り上げた」と再発見説を唱える者がいたという。

産卵を前にして黒くなったヒメマスは不味いとされることから、「クロマス」は釣れてもリリースされることが多かったというが、当然ながら「クロマス」を食する者もおり、伝承どおり、塩焼きにしてもフライにしても美味であったと語られている。

「クロマス」の正体がクニマスであるとの知らせを受けた西湖漁業協同組合は、クニマス繁殖域の禁漁区指定など、保護対策を検討しており、2011年3月20日の漁解禁より、クニマスが生息している可能性の高い湖北岸の約1万平方メートルを新たに自主禁漁区域に設定する方針を固めた。

また、クニマスの生息確認の知らせを受けた秋田県の仙北市と田沢湖観光協会は、国や県と協力して田沢湖の水質改善を進めるなど、将来的にクニマスを田沢湖に戻すことを前提とした諸活動を計画している。

2010年12月15日のクニマスが再発見されたと言うニュースから2日後の2010年12月17日、秋田県は仙北市と共同で「クニマス里帰りプロジェクト」を発足させることを決定、12月21日から正式に活動を開始した。

しかし、田沢湖の水は依然として強い酸性を保っており、クニマスを田沢湖に戻すには程遠い状況であるため、当面はクニマスの生態調査に力を注ぐと同時に、県内の他の場所でもクニマスを養殖できないか、山梨県とも協力しながら検討を続けていく方針だ。

2011年3月5日には「クニマス里帰りプロジェクト」の一貫として、さかなクンの講演会が開かれた。この講演のなかで、さかなクンはクニマスは従来ベニザケの亜種と考えられてきたが、一年を通じて産卵期があるなど、独立した種である可能性が高いことを説明した。

2012年2月には中坊らと同行したNHK取材班が産卵の様子の撮影に成功。伝承通り冬季に産卵することが証明された。生きたクニマスのカラー映像の撮影成功は初。

撮影時にカメラを全く警戒する様子がなく、また深い場所で低い水温の砂利地帯という環境から、天敵の居ない環境がクニマスが生き延びた要因である見方が強まった。

江戸時代に秋田藩主・佐竹義和が田沢湖を訪れた際にクニマスを食べ、お国特産の鱒ということから国鱒と名付けられたといわれていたが、角館佐竹家(佐竹北家)の記録である佐竹北家日記に、義和の生誕よりも以前から国鱒との表記が見つかっている。

角館を領した佐竹北家(角館佐竹家)の歴代の記録である『佐竹北家日記』(秋田県公文書館所蔵)において、クニマスに関する記事は正徳5年(1715年)を初出とし、18世紀には記述が少ないが19世紀に入ると頻出し、角館佐竹家から秋田藩主佐竹本家への、または佐竹本家から他藩諸家への献上品・贈答品として利用され、長期の運搬がなされたと記録さ
れる。このことからも、干物・粕漬けなどの加工が開始されていたと考えられている。

文化2年(1805年)の記録に「国鱒塩引き」が秋田の佐竹本家へ献上輸送された記録がある。翌々日に秋田藩城詰めの家老名義での礼状が届き、同文中には「在国中であった藩主がとても喜び、残った分は江戸藩邸に送った」旨が記されている。

これらは当時クニマスに対し、長期輸送に耐えうる加工がなされていた史料となる。当時の佐竹北家の当主は佐竹義文(佐竹河内)、秋田本藩藩主は佐竹義和。数年後、佐竹義和は田沢湖を訪れ、文人としても知られる義和は紀行文を残しているが、同文中にはクニマスに触れた記述はない。

義和は秋田蕗の逸話が残るように、藩内特産品の開発にも力を入れていたとされることから、前述のクニマスを江戸に送った行為は、江戸藩邸の家族や家臣らに対する贈り物に留まらず、諸国に対する特産品の宣伝および国内特産品の殖産興業の面もあった、とも推測される。

ただし、このように藩主献上品(または他藩への贈答品、藩の特産品)として扱われたことにより、クニマスの価値・価格は上昇し、価格面でも”価値”の面でも、たとえ地元の人間であろうが庶民にはなかなか手が出し難いものとなった、とも伝わっている。

資源のある高級魚であったため、専業の漁師が居た。クニマス漁は一年中行われ、刳り舟(丸木舟)を使用した。漁法は刺し網漁法で、夏は深部に、冬は浅く網を下ろす。

ただし少数であるが、雑魚網や一本釣も行われていたようである。1月 ー3月が最盛期で、漁で上がったクニマスはすぐに死に、徐々に白く変色したという。

深所に生息するためか皮が硬いのが特徴であるが、白身で柔らかく非常に美味であった。地元でも祝い事や正月などのときにしか食べることのできない高級魚で、昭和天皇に献上された事もあり、大正時代には1尾が米1升と交換するほどの魚であったという。

豊漁の年でも冠婚といった特別のとき以外は食べなかったといい、大半は雑魚箱に入れて角館町に売りに出るが、 その角館でも買う家は地主、上級武士、豪商など決まっていた。

このため売り子は「軒打ち」と称い、あらかじめ買ってくれそうな家を覚えておいて売り歩いたという。一般が口にするのは妊産婦か病人に限られており、田沢湖町田沢、元田沢湖町役場総務課長の羽川は「子供のころよく獲れたものだが、なかなか食べさせてもらえなかった。それでも風邪をひいたりすると、『早く治れ』と母が出してくれた」と当時に
ついて語っている。

料理する場合は焼魚にする事が多かったようである。現在のヒメマスも美味な高級魚であるが、これと比較してもなお高品位であったとされている。

クニマスと同じく、かつて田沢湖に生息し、酸性水の流入で絶滅した魚にクチグロマス(口黒鱒、学名なし)がある。こちらは非常に資料が乏しく詳しい事は不明だが、体長は25 - 35センチ・メートル程度で水深50- 100メートル付近に生息していたと思われる。また、クチグロマスはヒメマスとクニマスの雑種だとの説もある。

漫画『平成版・釣りキチ三平』(『週刊少年マガジン特別編集2001年9月18日増刊号』掲載[26])には、「三平の祖父・一平が、クニマスを密かに地図に載っていない山中の湖に移殖し、そこで繁殖していたものの生息が確認される」というストーリーがある。

あくまでフィクションであったが、2010年に生息が確認された個体は実際に漫画と同じような経緯で移殖され繁殖していた。作者の矢口高雄は発見の一報を大変喜び、関係者やファンから多くの祝福を受け「必ず生きていると信じていた」「漫画にしたけれど、うそじゃなかったでしょ?思い通りです」と語った。

ちなみに矢口は田沢湖のある秋田県の出身で、将来的にはクニマスを田沢湖に里帰りさせることを強く望んでいるという。2012・7・12
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

◆本稿は7月15日(日)刊 渡部亮次郎氏主宰の「頂門の一針」2666号に
掲載されました。

◆<2666号の目次>
・帰郷叶わぬクニマス:渡部亮次郎
・迷走の挙句政党政治の危機:山堂コラム 427
・対北朝鮮の米イージス艦配備状況:古澤 襄
・世に流布される「陰謀論」:阿比留瑠比
・たかがヒゲ、されどヒゲ:平井修一
・話 の 福 袋
・反     響
・身 辺 雑 記

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