2012年07月23日

◆木津川だより 幻の大佛鐡道@

白井繁夫


木津川の左岸(泉津)から上津道を通って、前回訪れた東大寺『転害門』の西約1kmの所の、法蓮交番所の南に『大佛鐡道記念公園』があります。「地図Z:4番」
 
この小公園が嘗ての関西鉄道「大佛駅跡」です。当時の機関車の動輪のモニュメントと当駅の説明板(平成4年4月 奈良市)が造られています。
 <地図Z:http://chizuz.com/map/map133784.html

この奈良市制作の説明文から、どうして「大佛線」は短命であったのか、明治30年頃の鉄道は木津川の水運で栄えた木津と、どんな関係になったのか。不思議なことばかりです。

幻の「大佛鉄道」と呼ばれるのは、当時の里山も路線の原形もないために、そう思うのかなという、疑問と興味が重なり合って脳裏に湧いてきます。

以下長くなりますが、その「関西鉄道大佛駅」について、奈良市の説明を原文のまま記述します。

<明治28年に草津、名古屋間を全通した関西鉄道は、柘植から大阪方面への進出を計り、2年後の30年11月に加茂まで開通した。ここから梅谷を経て黒髪山トンネルを下り、明治31年4月、この地の北側法蓮の交番所の南あたりに大仏駅を設置した。
 

この鉄道は市民、観光客にも親しまれ、大仏詣での人達もこの駅で下車し、一条通りを通って東大寺に参拝していた。
 

奈良駅へは、その年の12月に到達したが、乗り入れが実現したのは、翌32年5月であった。その後、路線が木津経由に変更となり、明治40年8月までの約9年間で廃止された。
 

昭和39年頃までは、トンネルも残っていたが、現在は取り壊されて当時の面影をいまは見られない。 平成4年4月 奈良市>
P1010007.jpg
上写真:奈良市法蓮町の大佛鉄道記念公園

「関西鉄道大佛線」は上記説明文の如く、「明治31年開通し、40年に廃止」という異例の短命で終わっています。このことは鉄道路線が国有化される以前のことです。
 
また別の見方をすると、木津を中心に周辺を巡る鉄道の変遷が関係したと思われます。

そこで、話題をまず関西鉄道から触れてみましょう。

関西鉄道は、明治21年(1888)3月に三重県四日市で創立され、明治23年四日市〜柘植(つげ)駅の開通から始まりました。明治30年になると加茂駅に到達し、翌年4月大仏駅の開業で、名古屋から加茂を経て大仏駅まで全通したのです。

その間、関西鉄道は大阪への進出を目指し、明治30年(1897)に浪速鉄道の桜宮線(片町線)を買収し、翌年6月に長尾駅から新木津駅を開業しました。同年9月には奈良鉄道の木津駅と新木津駅とをつなぎ、11月には新木津駅と加茂駅も繋げ、大阪へのルートを作り上げたのです。

肝腎の「大佛線」は、明治32年5月、大仏駅と奈良鉄道の奈良駅間で開通して、大阪鉄道ともつながり、名古屋〜奈良〜大阪のルートと、奈良鉄道の京都〜奈良〜桜井(61.5km)が10月に全通しました。

関西鉄道は、明治33年6月に大阪鉄道と合併して、大佛線(加茂〜奈良)約10kmを利用すると最も短距離で便利に大阪へ行けるのに、敢えて廃線にして、遠回りの木津経由にしたのです。これは何故なのでしょうか。

また「幻の鉄道」の沿線の100年後の姿(里山、鉄道、遺構等)や、当時の機関車なども含めて「大佛線」の在りし日々を想像しながら、次回散策しようと思います。
(私事で恐縮ですが、末の娘が高齢初産でしたが、私どもはさらに老齢の為、2ヶ月前後散策中断致しました。本日より拙文開始しました。今後とも宜しくお願い致します。)

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