2012年08月08日

◆日中条約には黒衣がいた

渡部 亮次郎


NHK国際局副部長から福田赳夫首相命で外務大臣秘書官に発令されて驚いたのは、田中、三木両政権でお手上げになっていた日中平和友好条約に関する首相・外相間の懸隔の大きさである。

福田首相は壁が高く厚いというが、園田外相は、俺が北京に行って明日にでも調印すると意気軒昂なのである。勿論「情報」は在中国大使館から外相を通じて首相に伝えられるわけだから、認識は一致しているはずなのにである。

そのうちに気づいた。剣道の弟子が早朝、目黒の大臣私邸を訪ねた日に意気軒昂となることである。このことを園田氏は政務秘書官たる私にも絶対説明しない。

説明しないなら元記者たるもの、独自で取材するばかりである。

取材の結果分かったことは、剣道の弟子は中国語がペラペラ。園田が官房長官当時からその都度、多額の工作費を持たされて北京を訪問、中国政府要人の消息を取材して大臣に報告していることが分かった。

父親が鉱山学の権威。終戦後も中国政府の要請で北京にとどまり、鉱石採掘の指導にあたり、昭和30年ごろまで北京に在住した。

この人物を中国に派遣するについては初めから福田首相は了承していた。なぜなら首相私邸に呼び出し、官房長官立会いのもと、首相から中国行きを要請したのは政権発足直後の1977年正月4日だったからである。

中国で彼は主として誰と面会しているのか。廖承志だ。彼は日中国交正常化以前に訪日した際、園田(無役)と箱根で会談した仲である。

<廖 承志(りょう しょうし、リャオ・チョンヂー、1908年9月25日 -
1983年6月10日)は中華人民共和国の政治家。

1949年の中華人民共和国の建国以降中国共産党の対外活動の責任者を務め、日本との関係では特に1962年に高碕達之助との間で取り交わした覚書に基づくLT貿易を開始した人物として知られる。中日友好協会では1963年の設立時から死去まで会長の任にあった。

日本生まれの日本育ちで、廖の話す日本語は「江戸っ子」なみのベランメ
エ調も話すことができるほどであり、1972年の日中国交正常化交渉では
首脳の通訳として活動、中国共産党史上最高の知日家として中国外交陣における対日専門家育成の基礎を作った>。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

時あたかも中国はそろそろトウ小平の時代になりつつあったが、中国の日本大使館ではトウへの接触の手立てがなかった。

トウ氏は1977年7月の第10期3中全会において、国務院常務副総理、党副主席、中央軍事委員会副主席兼人民解放軍総参謀長に正式に復帰。翌8月に開催された第11回党大会において、文化大革命の終了が宣言される。トウ小平は文革で混乱した人民解放軍の整理に着手するとともに、科学技術と教育の再建に取り組み、同年、大学統一入学試験を復活させる。

廖承志氏はトウとは昵懇の仲。廖承志氏に会えばトウの動きも考えていることも判明する仕掛けだ。この結果、日中平和友好条約の締結をめぐって敷居を高くしていた中国政府はトウの要請を容れて「早期締結」にカジを切り替えていることなど手に取るようにわかるわけだ。

この情報を掴んでいる園田はこれを福田首相には伝えていないようだ。私は両者の会談には立ちあっていないからわからない。しかし条約締結の見通しについての両者の懸隔が大きすぎるのは、大使館情報にしか接していない首相と、直接中国政府情報に接している外相との差の大きすぎること。驚きの毎日だった。

日中平和友好条約の締結は田中首相・周恩来首相による1972年9月の日中共同宣言に盛られていた「約束」だったが、両国の関係強化を歓迎しないソ連(当時)との絡みが有り、田中、三木両政権でも実現していなかった。

続く福田内閣で官房長官となった園田直(すなお)は1年後には外務大臣に横滑りし、その政務秘書官に私が発令されたのだった。

トウ小平の周辺情報を掌握している外相、まったく握っていない外務省事務当局。外務省からの情報しか知らない福田首相。首相と外相の見解の懸隔を批判するマスコミ。昨日までマスコミに在籍したわたしとしては、この内部事情を親しい記者に教えてやりたい衝動にしばしば駆られた。だが最後まで秘匿できた。

1978年8月8日、園田を先頭にした日本側交渉団は特別機で羽田を出発。締結成就を信じているのは「園田さんが北京に来てくれさえすれば調印確実」というトウ小平からの黒衣伝言に接している園田のみ。事務当局は半信半疑だった。

問題の黒衣の名前は明らかにしない。いずれ条約締結まで北京を訪問した回数は「13」に達した。私より若くご存命である。

当時の中国課長田島高志さんは、その後ミャンマーとカナダの大使をつとめて退官されたが、ご健在で「頂門の一針」を愛読者である。しかし今日のこの記事には驚かれたことだろう。2012・8・5

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