2006年11月29日

◆人生須らく未完成

                       渡部亮次郎

未完成交響曲は、文字通り完成されていない音楽である以上、作曲者が自身の「作品」として発表したことは基本的にはない。また、未完成である以上、「作品」として演奏されることは一部の例外を除き皆無である。

むしろ、交響曲というジャンルにおける未完成作品は、各々の作曲家を研究する上においての資料として扱われる場合の方が多い。

単に「未完成交響曲」と言った場合、普通はフランツ・シューベルトの交響曲第7番ロ短調D.759のことを指すが、シューベルトは有名なこの曲を含めて、交響曲を6曲も未完成ニにして31歳の生涯を終えた。

シューベルトは、現在楽譜が残っているものだけで14曲の交響曲の作曲を試みて6曲が未完に終わっている。

よく演奏されるのは、「未完成」と最後の完成された交響曲である「ザ
・グレート」である。それ以外では第5番もかなり親しまれている。

「未完成」はその名の通り、第2楽章で終わっていることからこう呼ばれるようになった。なぜ未完成となったかは不明である。それにしても美しい曲として人口に膾したので、後世、様々な「説」を成して人々が楽しんでいるといったほうがいいだろう。

私が「未完成」に生涯初めて出合ったのは高校の物理の授業をエスケープして秋田市内の映画館で見たモノクロの外国映画「未完成交響楽」だった。麦秋に白く光る畑を散歩するシューベルト。役者がだれだったかは忘れた。

今でも3日に1度はMDで聴きながら散歩する。本当に美しく、心を洗ってくれる楽曲である。聴きながら人生、須らく(すべからく=すべて)未完成で終わるのが普通だと考えてしまう。

フランツ・ペーター・シューベルト(Franz Peter Schubert, 1797年1月31日 - 1828年11月19日)は、オーストリアの作曲家。

1822年にヴェーバー、ベートーヴェンと知りあうが両者ともにほとんど親しい係にならなかった。しかしベートーヴェンは彼の天分を心底認めていた。

シューベルトは当時ウィーンで最も偉大な音楽家であったベートーヴェンを尊敬していたが、それは畏怖の念に近いもので、ベートーヴェンの音楽自体は日記の中で「今日多くの作曲家に共通して見られる奇矯さの原因」としてむしろ敬遠していた。

シューベルトは「主題労作」といった構築的な作曲法が苦手だったと考えられているが、そういったベートーヴェンのスタイルは本来シューベルトの作風では無かった。つまりシューベルトにとってベートーヴェンは「ベートーヴェンの後で何ができるだろう」という言葉から感じられる通り、「克服すべき相手」だったと言える。

むしろシューベルトが愛した作曲家はモーツァルトである。1816年6月14日、モーツァルトの音楽を聴いた日の日記でシューベルトはモーツァルトをこれ以上無いほど賞賛している。またザルツブルクへの旅行時、聖ペーター教会のミヒャエル・ハイドンの記念碑を訪れ、感動と共に涙を流したという日記も残されている。

シューベルトが生前親交のあった作曲家としては、カール・マリア・フォン・ヴェーバーが挙げられる。

シューベルトは後の作曲家の多くに影響を与えた。『大ハ長交響曲』を発見したシューマンは言うに及ばず、特に歌曲、交響曲においてメンデルスゾーン、ブラームス、ブルックナー、ヴォルフ、リヒャルト・シュトラウス、ドヴォルザークなど、シューベルトの音楽を愛し、影響を受けた作曲家は多い。

シューベルトは長らく、貧困の中を情熱で作曲活動を行うものとして紹介されることが圧倒的だったが、近年ではその説に疑問を持つものも少なくない。

「シューベルティアーデ」と自分の名前を付されるほどの音楽夜会の発展、大量の作品番号つきの作品の出版からして、収入には困っていなかったと見る研究者も多い。

20代のシューベルトは売春宿に大量に投資した、という過激な説を展開する研究者さえ存在するが、投資したのかどうかはともかく入り浸ったことだけは確かである。

シューベルトの1000近いスケッチ、未完を含む作品群は、オーストリアの音楽学者オットー・エーリヒ・ドイチュ(Otto Erich Deutsch, 1883- 1967)によって1951(昭和26)年に作られた英語の作品目録のドイチュ番号によって整理されている。

1828年、彼は突然腸チフスに冒され、2週間の闘病の後、11月19日に兄フェルディナントの家で死亡した。まだ32歳になっていなかった。

死後間も無く小品が出版されたが、当時の出版社は「シューベルトはシューベルティアーデのための作曲家」とみなして、もっと価値のある大規模作品を出版することはなかった。

死因は後期梅毒であるともいわれているが、記録から見るとシューベルトは梅毒の第2期(発疹、脱毛など)止まりであったことがわかっており、症状(発熱、吐き気など)の記録から腸チフスと見るのが妥当であろう。

シューベルト生誕200年の1997年には、改めて生涯の再確認が行われ、彼の梅毒罹患をテーマにした映画も公表された。売春宿に入り浸ったというから、梅毒にかかっていたとしても可笑しくはないが、死ぬほど進行していなかったということか。

それにしても、こうして独身のまま32歳で病死というのでは、彼の人生そのものが未完成だったわけだ。三島由紀夫さんのように文学を究めたところで祖国の将来に失望して自決すると言う生涯はある意味で完成した人生と言えないことはない。

しかし、概ね、凡人が未練を残しながら若くしてか老いさらばえてかにしろ、病に倒れてこの世を去ることは未完成人生といわずして何と言おうか。参考:ウィキペディア(2006.11.28)
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