渡部亮次郎
<宮崎県議会(坂元裕一議長・42人)は1日、県官製談合事件の一連の責任を問い、安藤知事に対し、本県史上初の不信任決議案を全会一致で可決した。これを受け、知事は地方自治法178条により10日以内に辞職または議会解散の選択を迫られることになる。いずれの判断も示さない場合は、自動的に失職する。
知事は「非常に残念ことだが、議会の判断だから厳粛に受け止める。今後の対応については熟慮したい」としている。
同決議案は11月29日に決議した辞職勧告を知事が拒否したため、1日午前から全4会派が党議を開き、提出について協議。知事の出納長任命の責任、県政混乱の責任は重大だとの見解で一致し、提出に合意した。決議案は各会派の五議員が連名で提出した。
本会議は午前11時45分に開会した。
提案議員を代表し、徳重忠夫議員が「今回の事件では出納長、土木部幹部職員が逮捕され、県庁舎が家宅捜索されるなど、県行政に大きな混乱を生じさせた」などと提案理由を説明。「最高責任者の知事が自ら辞職する意思がないとするなら、県民を代表する県議会の意志として辞職することを求める」とする不信任決議案の採択に入った。
採択は記名投票で行われた。この結果、全会一致で可決された。11月29日の辞職勧告決議案を採決した際、「知事は関与を否定している」などとして欠席した自民党の由利英治、内村仁子議員は今回も出席を見送った。
関与を全面否定している安藤知事は終始、淡々とした表情。閉会後、「県民の皆さんに再度、おわび申し上げる。知事としての監督責任を痛感している。辞職、解散、失職の三つの選択肢がある。後援会などと相談し、熟慮して結論を出したい」と今後の対応について態度決定を保留した。
坂元議長は「議会の総意、県民の意思として受け止めてほしい。問責決議のときに、できれば出処進退を明らかにしてほしかった。議会は解散も想定している。県民に議会の姿勢を示すことができた」と語った。>(宮崎日日新聞
Web 2006年12月1日
<県議会の不信任決議を受け、安藤宮崎県知事は1日午後4時半から知事室で臨時の部局長会議を開いた。出席した幹部によると、知事は「進退は決めていない」と話した上で、「3年4ケ月、幹部のみなさんに支援していただいてありがとうございました」と準備したメモを読み上げたという。
また、知事は「これからは坂佳代子副知事とみんなで頑張ってほしい」と伝えた。その一方で「改革は道半ば」と無念さもにじませたという。> (宮崎日日新聞Web 2006年12月1日
<知事は「これからは坂佳代子副知事とみんなで頑張ってほしい」と伝えた..>という事は辞意表明に等しい。
安藤知事は地元大学を出て県庁に就職。成り上がり知事だが、県議会多数派を占める自民党に支持された事は1度もない。
1995年4月 商工労働部長 1998年3月 県庁を退職 1999年8月 宮崎県知事選挙に出馬し落選 しているのだ。福島県や和歌山県と訳が違う。
しかも4年後の2003年8月 宮崎県知事選挙に出馬したが自民党は元県出納長の牧野俊雄を擁立。しかし安藤氏は牧野氏らを破り初当選 。自民党は面子を失ってのここ3年。1日の不信任決議案の可決が全会一致という背景はここにある。
事態を予測したわけでもあるまいが、安藤知事は事件発覚の直前、自民党に対して、来年の選挙での推薦依頼を申し入れていた。何かドラマを見る思いである。
従って安藤知事としては、仮令、県議会を解散すれば、議会が再び自民党支配になるわけだから、県政運営の鍵は握れるわけがない。こうなれば安藤氏は進退谷(きわ)まった末、辞任というスナリオしか考えられない。
2006年11月 官製談合事件が発覚、同県議会において知事辞職勧告決議が可決 。
2006年12月 同県議会において知事不信任決議案が可決。
もはや辞職が何日になるかだけがニュースになった。福島、和歌山、宮崎で知事が官製談合をやって辞職という2006年の特色。だがこれは知事選挙にカネが掛かりすぎるという側面と、それでも自分を顕在化したいという人間が多くなった世相を物語る。 2006.12.01
2006年12月02日
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いよいよ、そのまま東が出馬しますね。