2012年11月29日

◆北朝鮮情勢を読む

寺田 輝介
       

金正恩は、金正日の死去直後2011年12月30日に朝鮮人民軍最高司令官に就任、更に2012年4月11日に開催された朝鮮労働党代表会で党第一書記に任命されると共に、翌12日の最高人民会議で共和国国防第一委員長となった。

これを以て金正恩は、党、国家、軍の最高位者となり、金正日から金正恩への権力移譲は一応完了した。本稿では近く政権樹立一年を迎え、次第に明らかになってきた金正恩政権の特性と同政権をめぐる国際関係を検証する。

1.金正恩政権の特性
現下の金正恩政権は、「遺訓政治」に基礎を置いている。金正日が金日成の死去直後に父の遺訓を掲げたように、金正恩も故金正日総書記の枠組みそして遺訓を維持することが当初から期待されていた。

昨年12月29日に開催された金正日総書記中央追悼大会で金永南最高人民会議常任委員長は追悼の辞で「金総書記の遺訓を譲歩なく徹底的に貫徹する」と公言した。

これを受けた如く、金正恩は本年4月15日の金日成生誕100周年軍事パレード閲兵式における演説の中で「金正日同志の遺訓に従って、祖国のために負っている責任を果たす」と宣明した。

この4.15演説では、さらに「(北朝鮮は)かつての弱小国から今日は堂々たる政治・軍事強国となった」、「金日成同志と金正日同志が築いた自主、先軍、社会主義の道を進むことに最後の勝利がある」と宣言しつつ、北朝鮮の泣き所である経済については「経済強国建設と人民生活向上のための貴重な種をしっかり育て、開花させなければならない」と決意を表明した。

以上の発言のうち、特に注目すべき点は、金正恩政権は「遺訓」としての「先軍政治」の継承を明らかにしている点である。4月15日の軍事パレードにおいて新型の長距離弾道ミサイルを公開したことは核・ミサイル開発を継続するとの「遺訓」の実行を内外に示したものと言える。


金正恩政権は、最初の対外約束として、2012年2月29日米国と合意に達した。この米朝合意によれば、米朝交渉が続いている間は北朝鮮がウラン濃縮およびミサイル発射実験を中断し、その見返りとして米国は24万トンの食糧支援を北朝鮮に提供するとされた。

然るに、2012年3月16日、北朝鮮は「人工衛星」発射実験を予告、4月13日に打ち上げを強行したものの実験は失敗した。この米朝合意に背馳した金正恩政権の行為は、明らかに金正恩が「遺訓」を厳守したことに起因する。

朝鮮中央通信によれば、3月27日北朝鮮外務報道官は「金日成主席の生誕100周年に際しての実用衛星打ち上げは金正日総書記の遺訓で、かなり前から計画されていた」と説明している。

因みに本年3月ソウルを訪れた筆者に対し、朴在圭慶南大校学長は「ミサイル打ち上げは2年前に決定されていた」と内話越した経緯がある。このミサイル実験の例から明らかな様に内政は言うに及ばず、対外姿勢を示す軍事行動についても「遺訓」が適用されることを示すものである。

2.金正恩政権をめぐる国際関係
ミサイル実験の強行の結果米朝合意は崩壊し、北朝鮮をとりまく国際関係は一段と厳しさを増した。

南北関係は、李明博政権が標ぼうした「非核・開放・3000」政策に反発する北朝鮮のため完全に停滞したのに加え、2010年に発生した哨戒艦沈没事件と延坪島砲撃事件のため決定的に悪化し、金正恩政権樹立直後の2011年12月30日国防委員会は、李明博大統領を名指しで非難し、李政権を「永遠に相手にしい」とする声明を発表するに至った。

この様な状況下にあって、金正恩政権に全面的支持を与えたのは中国である。一方、冷戦の終結以来北朝鮮の外交的パターンとして見られる、米朝関係及び南北関係が停滞すると、北朝鮮は対日働きかけを試みるとの動きが最近日本について見られるようになった。以下中朝関係及び日朝関係について分析を進める。

(1) 中朝関係
中国は金正日死去に際しいち早く金正恩政権に支持を与えた。加えて、胡錦濤国家主席を始め中国共産党政治局常務委員全員が北京の北朝鮮大使館を弔問し、新政権との関係緊密化を求めたことが特に注目される。

中国側の強い政治・外交的ゼスチャーに呼応するが如く、北朝鮮は2012年8月13日金正恩の後見人とも言うべき張成沢朝鮮労働党行政部長を中国に送り,胡錦濤、温家宝等政府要人と会談させた。

張成沢の訪中につき、8月14日付「朝日」は、“北京の外交筋は「北朝鮮が新体制になって開放的になり、積極的に改革も進めていることをアピールする狙いがある」とみている”と報じているが、張成沢も当然「遺訓」政治の枠内でしか行動できず(因みに、金正日は本格的な「経済改革」に消極的であった)今回の訪中はあくまでも実利を求めた中朝国境地帯における経済協力の協議が目的であったと解すべきであろう。

なお、北朝鮮は近時中国に対する経済的依存度を強めており、報道によれば中朝貿易は2010年3月の韓国哨戒艦沈没事件を受けた韓国の対北朝鮮制裁後に急増し、2011年には前年より約62%を超えて約56億3千万ドルに達している(2月8日付「朝日」)。かくして金正恩政権下の北朝鮮は、外交と経済の両面で中国に依存する状況に追い込まれていると言えよう。

(2) 日朝関係
2012年2月25日付「毎日」(夕刊)は一面トップ記事として“朝鮮労働党指導部が今年1月、日本との交渉について「早急に方法を探り、推進せよ」と指示していたことが25日、毎日新聞が入手した党の内部文書で明らかになった”と報じた。

本年の北朝鮮の対日行動を見ると概ね「毎日」の報道が正しいことが分かる。

6月20日付「読売」は「4月の金日成主席生誕100周年記念行事に参加した訪朝団に対し、宋日昊日朝交渉担当大使が戦前の日本人の遺骨返還問題を提起した」と報じているが、その後の動きを見ると北朝鮮の「遺骨返還」、「墓参容認」を梃子にした対日アプローチが効を奏し、本年8月の日朝赤十字の意見交換(北京)、外務省課長級予備協議(北京)、更には11月の局長級協議(ウランバートル)が実現している。

金正恩政権の対日政策が金日成、金正日の遺訓に従っていることは当然であるが、既述の通り、米朝関係と南北関係が閉塞状況にあること及び経済再建のために経済・財政支援を必要としていることも対日接近を図る要因になっている。

但し北朝鮮は日本の政局を注視しており、差し当たり拉致問題の解決等日本が関心を持つ問題に前向きの姿勢を見せることはあり得ず、次期政権待ちのポーズをとるであろう。

3.今後の展望
金正恩政権の内政及び外政の基礎が「遺訓」政治にあることから、改めて金正日の残した課題を検討することが2013年における北朝鮮の対外行動を占うことになる。

金日成、金正日が冷戦の終結後、国際的孤立から脱するため米国との関係改善を模索したことは夙に知られているが、金正恩政権は第ニ次オバマ政権に対し本格的なアプローチを試みるであろう。第一次オバマ政権の対北朝鮮政策は「戦略的忍耐」との表現から読み取れるように無為無策であった。

北朝鮮の対米接近に対しオバマ政権が十分に応えられない場合には、金正日が第二次ブシュ政権に対し適用した「瀬戸際政策」の再現を試みるであろう。即ち第三次核実験及び長距離ミサイル発射実験の実施である。

日朝関係、南北関係は2013年に前進する可能性がある。まず日朝関係について見れば、日本の政権交代が転機になろう。

金正恩政権にとつて金正日が署名した日朝平壌宣言は極めて重要な「遺訓」であり、北朝鮮にとつての戦略的到達目標点である。南北関係においては、2013年2月25日に新政権が発足するが、与野党いずれの候補者も南北関係改善を主張していることからも、新たな動きが出てくるであろう。

この場合金正恩政権は、2000年6月の金大中訪朝時に採択された「6・15共同宣言(南北共同宣言)」そして2007年10月の盧武鉉訪朝時の「10・4宣言(南北関係発展と平和繁栄に向けた宣言)を「遺訓」として対南攻勢を仕掛けるであろう。

この様に朝鮮半島をめぐる国際情勢は動きを見せると予想され、2013年は目を離せぬ年となろう。
                        (元駐韓大使)

                <安保研政策ネットから抜粋・11.28> 
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