2012年12月03日

◆木津川だより 幻の大佛鐡道B

白井 繁夫


今、「大佛鐡道」の話題を綴っていますが、私の友人から、この「大佛鐡道」の話題と、「私鉄(關西鐡道:かんせいてつどう)の関西線」「官営の東海道線の競合状況」とは、どんな経過を辿っていたのか、知りたいと声を掛けられました。

そこで少々横道にそれるかもしれませんが、今回は「官鉄に対抗した私鉄(關鐡)」をについて触れてみたいと思います。

さて、明治21年、四日市市で設立した「關西鐡道」は、その後他の私鉄も吸収合併して拡張し、明治31年(1898)に新木津経由で名古屋〜大阪(網島)、翌年の明治32年には大佛駅と奈良駅が繋がり、名古屋から大佛線経由で大阪難波(湊町)間も全通しました。

關鐡(関西鉄道)の営業圏は、大阪府、三重県、奈良県、和歌山県や滋賀県と京都府の一部に
広がった路線を持つ、明治時代の五大私鉄会社の一社となって来ました。

当時の官営鉄道は明治22年(1889)に全通した東海道本線を除き、新規建設はあまりありません。

私有資本の活用が盛んに叫ばれ、関東における半官半民の『日本鉄道』は別格なものの、西日本では、神戸〜広島を結ぶ政府の支援の山陽鉄道(後に下関まで延長)と、それに政府の支援が得られない関西鉄道と九州に路線を持つ九州鉄道が有りました。(五大私鉄のもう一社は北海道炭礦鉄道です。)

関西鉄道(四日市経由:関西本線)は、官営の東海道本線(米原経由)と名古屋〜大阪間で競合する官営鉄道に対抗するために、明治時代としては実に素晴らしい技術や下述の斬新なアイディアと方策を執りました。

日本鉄道史によると、關鐡の初期の鉄道技術師(島安次郎氏:後に鉄道院入省)の先進技術や旅客サービスは、後々の日本の鉄道にも用いられています。

(1) 蒸気機関車等のネーミング
★池月:(生唼:いけづき)、磨墨:(摺墨:するすみ):
平家物語(宇治川合戦の先陣争いに登場)する源頼朝の愛馬が牽引する姿から佐々木四郎高綱と梶原源太を連想します。
★雷(いかずち)、電光(いなずま)、鬼鹿毛(おにかげ):いかにも強力で、素早く威圧感がある機関車が坂道を駆ける
★早風(はやかぜ):名古屋〜大阪間を駆け抜ける急行列車の愛称
(官営鉄道の列車などのネーミングは昭和の初期4年(1929)になって、西洋に倣い鉄道省が公募によって特急列車(東京〜下関)に富士(ふじ)、櫻(さくら)の愛称を付けたのが最初です。)

(2) 機関車や車両のペイント等々
★明治時代以降、官営鉄道の蒸気機関車と云えば真黒と長年決まっていたのに対し、関鉄の大佛鉄道には真紅の色鮮やかな蒸気機関車が走っていました。
★関鉄の客車の窓の下には一等車(白)、二等車(青)、三等車(赤)と等級識別を分り
 易くした線を付けて旅行者の便を図りました。(国有化後、官鉄も広く採用した。)
★關鐡の急行(早風)には食堂車を連結していたので名古屋から大佛詣をする旅客もおおいにエンジョイしていたことでしょう。

(3) 広告.宣伝
★観光案内版: 駅のホームに近郊の名所、有名社寺等を記載する駅舎には観光名所(桜、モミジ、社寺の行事)の案内、宣伝等など
★宣伝のチラシ: 旅行者に団扇など配る
上記のように、現在にも通用する施策を用いて官営の東海道線に対抗しました。しかもスピード競争(所要時間)は互角でしたが、旅客運賃の競争が酷くなったため、知事や国会議員などの調停で和解したと云われています。

現在では列車などにペイントしたり、新幹線ひかり、特急雷鳥などのネーミングは当たり前の如く成っておりますが、100年前の明治時代に真紅の機関車『急行(早風)』が「大佛線」を疾走する姿は、当時の人々の目にはいかように映ったことでしょうか

<参考資料:  日本鉄道史  中編  鉄道省
        幻の大佛鉄道     大佛鉄道研究会>

少々話題がそれてしまいました。次回は本題の「大佛鉄道」に戻して沿線を散策します。
                              終 (郷土愛好家)



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