2012年12月27日

◆木津川だより 幻の大佛鐡道―C

白井繁夫


前回は、名古屋〜大阪間の官営鉄道に対抗する私鉄(關西鐡道)の競合について取り上げ、本題からすこし寄り道をしました。今回は話題を「大佛鉄道」に戻して、木津川市の加茂駅近隣から奈良市の大佛駅を目指します。 (地図Z:1番 → 5番)
   地図Z: http://chizuz.com/map/map139359.html


 加茂小学校北側のフェンス沿いにある機関車の展示場(前々回散策掲載)から、「大佛線」は、地図Z:2番の梶ヶ谷(かじがたに)隧道、赤橋(あかはし)へ向かいます。(美加の原C.Cのゴルフ場正面入口の西付近)。

「大佛線」は、加茂町の高田.観音寺里山周辺まで現大和路線(旧関西線)に並走しており、観音寺橋台には大佛線の遺構の橋台と、現在の線路の橋台とが並存しております。

 この橋台から路線は分れていまして、現大和路線は勾配の少ない不動山トンネルを経て、現木津駅へ向かっています。大佛線は山中の鹿背山橋台(石積の橋台遺構)を通り、ゴルフ場正面西の梶ヶ谷隧道から赤橋へ進む市道(下梅谷.観音寺線:大佛線跡)を経て、大和と山城の国境へと向かっているのです。

 加茂駅から大佛線と現線路とが並走する線路脇には、明治の大佛線の石積や煉瓦積橋台の遺構が所々にひっそりと現存しており、ゴルフ場正面を通る上記市道(大佛線跡)も観音寺.鹿背山の境付近までは、当時機関車を走らせた雰囲気をもつ風情が里山には残っています。

 しかし、市道(大佛線)を美加の原C.C付近から赤橋を通り梅谷を経て、奈良へ向かう道路の南側は自然の地形のままですが、北.西側、即ち、木津川市の中央区.城山台はURの宅地開発がすすみ、ここ数年間で山林も里山も見事に消えていました。
梶ヶ谷隧道.jpg赤橋(大佛線の遺構).jpg
<写真左:梶ヶ谷隧道 写真右:赤橋>
 
梶ヶ谷隧道は、ゴルフ場正面のすぐ西側にあり、赤橋は市道(大佛線)を西へ約100mの所にある大佛線の遺構です。両遺構の対面(北側)は、URの宅地造成工事中のため、里山風情は完全に消滅しました。

 <写真下:大佛線跡(市道:下梅谷.観音寺線)ゴルフ場から東側の加茂側は自然が残っています。(西方は里山も田畑も消えた宅地造成工事の全貌が現れて来ています。)>
市道下梅谷観音寺線(大佛線).jpg

ですから、大佛線はゴルフ場を境にして東の加茂方面は自然が残り、明治の風情を感じますが、西.北の木津側は宅地開発が進み、里山を望むのはもはや困難です。

県境の峠越えをして奈良市の黒髪山(奈良ドリームランド跡:地図Z:3番)を通る大佛線跡も、明治懐古のロマンを求めて、(住宅地ですが)100年前の明治の遺構を捜すと、梅美台に松谷川隧道、国境食堂付近では鹿川(ろくかわ)隧道等々に出会える散策ができます。

 ところで、黒髪山は大佛線の最大の難所で軌道の勾配(1/250)即ち、1000mで4mの高低差のある軌道で、しかも曲がりくねっております。(登りは当初の機関車を人が列車から降りて押すこともあったと云われている)。

黒髪山トンネル(最高地点で急勾配の難所)を抜けるとすぐ大佛駅(地図Z:4番)に到着するため、到着準備のブレーキをかける高度の運転技術が必要でした。(当時のブレーキはあまり性能が良くなかったとも云われています)。

 他方、日本は国土が狭く、山間部が多くて平野部が少ないので、官営鉄道は開発経費が経済的な狭軌(1067mm)を採用しており、関西鉄道(大佛線)も同様の狭軌でした。

 明治34年4月、加茂駅発奈良行きの列車(客車2輌、貨車4輌連結)が、梅谷の山腹(山城.大和の国境付近:急勾配1/40)で気鑵車(蒸気機関車)不良により運転停止しました。急報を受けて加茂から現場へ急派した気鑵車が見通しの悪いカーブの現場で、運悪くも、追突事故を起こしてしまいました。

 この事故を教訓とした対策として、關鐡は大佛線に大型機関車の投入計画や松谷トンネルの築堤などの工事を始めたのです。ところが、明治37年11月奈良鉄道との合併の仮契約が出来、12月には加茂〜木津間の路線工事を開始した為、大佛線への大型機関車の投入の必要性も無くなり、計画は中止となりました。

 やはり勾配の緩やかなルート(現在も使用:名古屋〜木津〜奈良〜大阪)が経済的にも有利と判断され、明治38年2月全通しました。その結果として、明治40年8月21日、大佛鉄道は9年4ヶ月の歴史を閉じたのです。

その後100年余を経た平成24年の暮(師走)の大佛鉄道跡の散策で、明治の鉄道同様に平成の里山も幻となる様を写真に納めて観ました。(開発は人々の幸せの為か?)。

<写真下左:赤橋の北側  写真下右:梶ヶ谷隧道の北側>
市道(下梅谷.観音寺線:大佛鉄道跡)の北側(木津の中央区.城山台)はURが宅地造成工事中です。里山は完全に消滅?です。
p254赤橋北景色.jpgp252梶ヶ谷景色.jpg

 (参考資料:「大佛鉄道 9年4ヶ月の歴史」村上豊明著)

末尾になりますが、今度の散策は実は5年ぶりのことでした。ところが歩いて観て廻った各所の総てが,がらりと変貌しており、我が目を疑いながら写真に収めるほどの様子でした。本当に驚いた次第です。

次回は中世の山城国で一番の鹿背山城跡を散策する前に、大手道にある「西念寺」を訪ねてみたいと思っています。(終)
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