2012年12月26日

◆台湾訪問記

田母神 俊雄


12月10日から2泊3日で、福岡県郷友連盟主催の台湾訪問に同行させていただいた。これは防大の一期後輩の稲葉敏君の御骨折りにより実現したものである。一行は福岡空港から出発したが、私は新しい歴史教科書をつくる会の岡野俊昭氏、諸橋茂一氏とともに東京から参加することになった。

当日は、早朝5時20分に羽田空港集合、7時20分発の中華航空機に搭乗するため、家を4時30分に出発した。私は、前日の鳥取講演があり帰宅したのは夜の21時頃だったので大変あわただしい出発となった。

台北松山空港までは約4時間の飛行で午前10時半ごろ(日本と台湾の時差は1時間)に台湾に到着した。空港にはガイドの鍾紹雄氏が出迎えてくれた。鍾紹雄氏は大変な親日家で、83歳の高齢であるが、かつて政治犯で14年も収監されていた経歴を持つ筋金入りの台湾人である。

自衛隊にも多くの知り合いがいるということであった。その後福岡からやってくる本隊と合流するため桃園空港に移動した。東京の羽田と成田みたいな感じであるが、それよりは少し近いようだ。それから2日半ほど大変充実した台湾の旅を楽しむことが出来た。

訪問初日には淡水の李登輝事務所を訪れて、李登輝元総統と面談した。李登輝氏は前日まで体調を壊し全ての日程をキャンセルしていたそうであるが、私たちには2時間半もの長時間をとって講演、懇談を実施していただいた。

李登輝元総統は、91歳という高齢にも拘らず大変元気で、国を思うその迫力には圧倒されるばかりであった。李登輝氏は22歳までは日本人で、若き時代に日本で受けた教育が氏を支えているといっていた。

日本精神が如何に素晴らしいものであるかを繰り返し強調されていた。それは坂本竜馬、後藤新平らに代表される「人の世話になるな、人の世話をせよ」という自立の精神である。

今の政治家には日本でも台湾でもリーダーシップが欠けているが、これも自立の精神の欠如に原因があると思っておられるようであった。

李登輝氏は、氏自身がリーダーシップを発揮した事例として、台湾へのフランス製ミラージュ戦闘機の導入について話をされた。台湾が中国への守りを固めるためにアメリカに対してF16戦闘機の輸出を要請したところ、アメリカは中国への配慮からこれを受諾しなかった。

そこで李登輝氏は事務方に命じて、フランスからミラージュ戦闘機を導入することを決定した。すると慌てたアメリカがF16戦闘機を安く台湾に輸出するといってきたということである。

現在台湾がミラージュとF16の二つの外国製戦闘機を持っているが、その背景には李登輝氏の決断とリーダーシップがあったのである。現在の我が国の政治家でこのような芸当を実行できる人がいるのだろうか。

その日の夕方、台北市内のレストランで蔡焜燦さん主催の夕食会があり、旧日本軍で将校として奉職された方、たびたび日本を訪問されている親日家の人たちが集まって夕食会を実施していただいた。

出席者の話では、台湾国民のほとんどは日本が大好き、一部商売に眼がくらんだ人たち、政権に取り入って利益を得ようとする人たちが、支那の意を汲んで反日のポーズをとっているということであった。

私にとっては今回が初めての台湾訪問であった。台湾が大変親日的な国であることを実感した。翌日は新幹線で台北から台南に移動し、烏山頭ダムを造った金沢市出身の八田與一 翁の銅像がある烏山頭ダムを訪れた。ここでは毎年5月8日、台湾総統も出席して八田與一翁の慰霊祭も開かれている。

またその他にも日本人が神と祭られているいろいろな施設があり、今回飛虎将軍廟 (鎮安宮)を見学した。

大東亜戦争中の1944年10月12日、杉浦茂峰兵曹長の操縦する戦闘機が敵の攻撃を受け飛行困難となったが、ここで杉浦兵曹長が落下傘降下して自分が助かれば、戦闘機は市街地に墜落して多くの人が死ぬことになるかもしれないと案じ、彼は戦闘機を最後まで操縦し、人のいない畑の上空まで戦闘機を引っ張ってから脱出した。

彼は落下傘降下中に敵の銃撃を受け降下した畑の中で死亡していたということである。その杉浦兵曹長を祭る廟が準備され観光名所になっている。現地にはガイドがいて説明してくれる。

また小冊子も作られ小中学校で教材として使われているそうだ。子供たちは立派な日本人がいたということを理解するとともに、公のために命を落とすことは立派なことなのだ、ということを学ぶであろう。

また義愛公と称される明治の下級官吏の森川清治郎 巡査が台南市の近くに祭られている。森川巡査は1897年36歳で台湾に単身赴任した。人々は盗賊、匪賊が絶えず出没し、マラリヤ、ペスト、コレラ等伝染病が発生する中で半農半漁の大変貧しい暮らしをしていた。

彼は治安維持のかたわら、教育の普及、環境衛生観念の啓発、農業技能の改善などにも尽力したという。彼はその後、村の税が上がらないように上司に進言したところ、「税をきちんと集めるのはお前の役目だ。お前が住民運動を扇動しているのではないか」ということで懲戒免職になった。

森川巡査はそれまで、税が上がらぬように上司を説得するから心配するなと住民に話していたそうであるが、約束を果たせなかったということで、銃で自殺した。

明治の役人の住民を思う心は見上げたものである。この森川巡査を祭る廟が、いま丁度建て替えられているところであった。場所は大変田舎でお金を持つ人もいないが、1億円を超える建て替えの資金は台湾全土から寄せられたということであった。ここも観光名所になっている。

このように台湾にはあちこちにこのような日本人を称える施設があるそうだ。台湾人が親日的である理由がよく理解できた。東日本大震災で、台湾から中韓などに比較して圧倒的多額の義援金が寄せられたのもこのような背景があってのことなのだ。

日本は台湾を大切にしなければならない。中国に遠慮して親日的な台湾を遠ざけ、中国の反日を助長しているのがいまの日本の政治である。

尖閣諸島が台湾のものだという行動は、大陸からカネで操られている台湾人が行っているもので、台湾人のほとんどは、尖閣諸島は日本のものだと思っているそうだ。日本はアメリカにくっついて台湾を遠ざけることになってしまったが、アメリカにとっての台湾と日本にとっての台湾は重要性が全く違っている。

アメリカにとっての台湾は、外国の一つでしかないが、我が国にとっては国家存立上の要石である。台湾に対する認識を変えることになった旅であった。
(元航空幕僚長・元空将)
2012.12.23 <頂門の一針より転載>
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