2013年01月22日

◆さようなら岡本敦郎さん

渡部 亮次郎


ホームソングの歌手岡本敦郎(あつを)さんが旧ろう 2012年12月28日び亡くなった。満88歳没だった。私の青春は岡本さんの歌と共に在ったようなものなので、実にがっかりした。

一つの時代が終わったと言うなどという軽いものじゃなくて「俺も終わりがちかいのだなぁ」という思いである。

岡本さんとは言うけれど会う事は遂になかった。

敗戦の翌年1946年にラジオ歌謡のホームソング「朝はどこから」でデビューした。この曲は当時、敗戦直後の日本を励ますため朝日新聞が企画した懸賞応募曲である。明るいその曲調から、広く親しまれ愛唱された曲だったそうだが、そのころ、家にはラヂオが無かったから知らない。

ラヂオが来て「ラヂオ歌謡」にしばしば登場するようになり、類稀なる美声と歌謡曲に無い、豊かな詩情に、のめりこむようになった。あれは高校に入ったころだった。以下「ウィキペディア」による。

本名 尾加一夫 。 1924年12月25日、北海道小樽市に生まれる。 武蔵野音楽学校 (現武蔵野音楽大学声楽科卒業。日本コロムビア所属。

抜群の伸びのある美声と正統派の歌唱で、戦後の歌謡界で活躍した。1949年の「街の艶歌師」の小ヒットを手始めに流行歌のヒットが増えて行った。ちなみにこの作曲は八洲秀章(北海道出身)で岡本敦郎にしては珍しい演歌である。

「白い花の咲く頃」の大ヒットや「チャペルの鐘」「あこがれの郵便馬車」などのヒットを経て、1954年にリリースした「高原列車は行く」は爆発的ヒットとなり、岡本敦郎の代表曲となった。

私の入った高校は秋田県でもトップクラスの進学校。息がつまった。息抜きにNHKののど自慢に出場した。その曲は「チャペルの鐘」(1952年)だった。

チャペルの鐘

作詞:和田隆夫、作曲:八洲秀章、唄:岡本敦郎

1 懐かしのアカシアの小径(こみち)は
  白いチャペルにつづく道
  若き愁い 胸に秘めて
  アベマリア 夕陽に歌えば
  白いチャペルの ああ
  白いチャペルの鐘が鳴る

2 嫁ぎゆくあの人と眺めた
  白いチャペルの丘の雲
  あわき想い 風に流れ
  アベマリア 静かに歌えば
  白いチャペルの ああ
  白いチャペルの鐘が鳴る

3 忘られぬ思い出の小径よ
  白いチャペルにつづく道
  若きなやみ 星に告げて
  アベマリア 涙に歌えば
  白いチャペルの ああ
  白いチャペルの鐘が鳴る

<昭和27年(1952)にNHKラジオ歌謡として放送れた。

八洲(やしま)秀章の端正なメロディを岡本敦郎が端正に歌った。

惹かれあっていることがお互いにわかっているのに、打ち明けることができないまま別れてしまう若い男女の心が詠われている。

最近はどうも、こうした繊細な恋のかたちを理解できない人が増えているようで……>(二木紘三)


岡本はその後も「ピレニエの山の男」「自転車旅行」「若人スキーヤー」などヒットを飛ばした。多くのラジオ歌謡を吹き込んだことから、ミスターラジオ歌謡の異名を持った。

NHK紅白歌合戦に7回出場した。岡本を支えた作詞家や作曲家といえば岡 灯至夫、寺尾智沙、田村しげる、八洲秀章、古関裕而と言った人たち。

舟木一夫の大ヒット曲「高校三年生」は岡本の吹込みを想定して作られたものである。また歌手業の傍ら、音楽教師としても活躍。1980年から84年には日本歌手協会の理事長を務めた。

1995年には戦後50年及び自身のコロムビア専属50年を記念し、同じく専属50年の並木路子・池真理子と共に新曲を発売し、日比谷公会堂でジョイントコンサートを行った。

80歳を超えても「思い出のメロディー」(NHK)やテレビ東京の懐メロ番組へ出演。2007年9月18日に脳梗塞のため入院するも早期発見が幸いして投薬治療で回復。

翌2008年1月21日放送の「ラジオ深夜便」で仕事復帰した。

2010年頃からは心臓の不調もあり仕事から遠ざかっていたが、2012年8月10日放映の「懐かしの昭和メロディ」(テレビ東京)へ出演。約2年半ぶりのテレビ出演となったが、これが生涯最後の仕事となった。

2008年、第50回日本レコード大賞で功労賞を受賞。

2012年12月28日、脳梗塞のため東京都内の病院で死去。88歳没。

2度目の脳梗塞は殆ど手の施しようもなかったのではないか。


私の好きな歌 ピレネエの山の男 
_
作曲者古賀 政男

岡本敦郎さんのヒット曲。ピレネー山脈は、フランスとスペインの国境に位置する。作詞の西条 八十がフランス留学中、ピレネーを訪れたことがあった。


  (1) ピレネエの 山の男は
  いつも一人 雲の中で
  霧に濡れ 星を眺めて
  物言わず 切るは樅の木
  ハイホー ハイホー
  千年の古い 苔の木

  (2) ピレネエの 山の男は 
   いつも一人 何を想う
   雨降れば 小屋の小鳥に
   ひげ撫でて 昔を語る
   ハイホー ハイホー
   思い出の 愛の駒鳥

  (3) ピレネエの 山の男は 
   春は行き 夏が来るよ
   角笛は 風に流れて
   旅馬車は 今日も急ぐよ
   ハイホー ハイホー
   故郷の おまえの町へ


岡本の代表曲

朝はどこから(1946年)共唱:安西愛子
街の艶歌師(1948年)
ビルの窓から(1949年)
白い花の咲く頃(1950年)
あじさいの唄(1950年)共唱:山田陽子
さよならマルセーユ(1951年)
リラの花咲く頃(1951年)作詞寺尾智沙 作曲田村しべる
美しい乙女(1951年)
青いガス燈(1951年)
時計台の鐘(1951年)
まぼろし慕いて(1952年)
草笛の唄(1953年)
チャペルの鐘(1953年)作詞和田隆夫 作曲八洲秀章
みどりの馬車(1953年)
花のいのちは(1953年)共唱:岸恵子
高原列車は行く(1954年)作詞:丘灯至夫、作曲:古関裕而
もぐらこおろぎ(1954年)共唱:伴久美子
ピレネエの山の男(1955年)作詞西条八十 作曲古賀政男
秋の匂い(1955年)共唱:伴久美子
秋の子(1955年)共唱:伴久美子
みおつくしの鐘(955年)
自転車旅行(1955年)
ここは静かなり(1955年)共唱:湯川きよ美
登山電車で(1957年)
人工衛星空を飛ぶ(1957年)
今日の日はさようなら(1974年)
小諸なる古城のほとり(1977年)
元気で行こうよ仲間たち(1997年)
狐の花嫁(1997年)
四谷大塚進学教室の歌(カセットテープ)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2013・1・20


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