渡部亮次郎
政界でも産業界でも人々に貫禄が無くなった、と言われる。なぜか。幸せの中で貫禄のある人間は育たないからである。
少なくとも日本では食うに困らなくなった1970年代以降はどの分野でも貫禄をつけようにも付けられなかった。だからといって失望してはいけない。これからも貫禄は覚悟如何によっては付けられる。
日本は1970(昭和45)年ごろまではどの分野にも貫禄のある人がいた。明治生まれで戦争を体験していた。大正生まれか昭和の初め生まれは、実際に銃で敵を撃った代議士や社長がごろごろいた。
昔の戦争は銃撃戦である。ミサイルを暗闇に撃つのではない。敵の姿を肉眼で捉え、敵意をこめて狙い撃ちしたのである。だから敵からも狙い撃ちされる恐怖に晒された。それを生き延びた人たちが各分野で先頭に立っていた。
何回も死というものを覚悟して戦って来た人たちだったから、ちっとやそっとのことではビクつかなかった。田中角栄などは加えて監獄も体験済みだったから、なお更だった。
私が秘書官として仕えた園田直と言う人なんか、まず陸軍に志願して入る。長男なのに長男は採用しない(事故死の危険大だから)という日本陸軍第一期落下傘部隊に志願、最後は特別攻撃隊(特攻隊)に志願。
しかし出動待ちのまま敗戦となって生き延びた。「以後の人生はお釣り」といって恐怖を感じるものはない風だった。落選を恐れなかったが落選は初めの一回きりだった。食道癌と宣告された帰りも車の中でグーグーだった(すぐ誤診とわかったが)。
銃を持たない人、例えば中曽根康弘、後藤田正晴といった人たちも軍艦に乗り主計将校として命を的に晒した経験がある。竹下も国内ながら戦火を体験した。
軍隊経験の無い総理大臣は宮沢喜一からである。細川、羽田、橋本、小渕、森、小泉、安倍もちろん軍隊経験はない。
戦死や戦病死の危険に常時、身を晒すということは絶望的な中に希望を見出さなければ生きられない境地だから、恐怖の極限である。そこから幸い生還してきたら、もはや怖いもの無しは当然である。
そういう人は如何なる事態におかれようと慌てふためくということがなかった。田中角栄なんかは国会で採決を強行するとなると勃起するといっていた。
喜怒哀楽。そのすべての極限を体験してしまえば、要するに慌てふためくことがなくなる。これを貫禄と言うのだと私は思う。戦後、特に70年代以降は戦争は無し、貧乏も余り無し、幸福が続いた。
貫禄なんて必要もなかったし、貫禄を付け様にも場面がなかった。
他方、失敗してもカヴァーしてくれるものがすぐあった。親に余裕があれば塾も予備校も留年も自在だった。
予備校では、如何にしたら少ない努力で高い合格を入手するかの知恵をつけてくれた。無駄と言うものの無い、合理性だけを教えられて来た。だから失敗に弱い。
しかし社会に出てみると、失敗することが結構多い。だがその時にカヴァーの方法を思いつかないことが多い.つまり失敗が少ない青少年期を送ってきたから、いざと言う時の対処方法を身につけてない。
しかも付けていないという事実にすら気がつかないまま、おろおろするのである。最近の政治家でおろおろしてるのが多いのはこのためだと私は考えている。 だからといって、いまさら戦争を起したり、率先して倒産を経験するのは出来ない話だ。
若者の比較的得意なパソコンに老人(65歳以上)になって、あえて挑戦した体験からすると、私はいくら先生役に何回、耳で聞いても覚えられない。本を何回読んでも理解出来ない。
そこである日、パソコンはいくら弄っても壊れないと聞かされたので、教えられたことを間違いを恐れずに弄ってみた。
間違いだから何度やっても進まない。しかしちょっと違えてみたら成功した。成るほどこれだ。失敗すれば失敗の仕方をおぼえる、つまりやっちゃいけないことを体で覚えたのだ。
失敗無しに覚えた正しい操作は皮肉ながら覚えられない。そのように指導してくれたのは岩手県立大学徳久研究室の学生、森茂樹さんであった。
なるほど、同じ失敗を2度はまずしないし、失敗したことは鮮明に記憶される。だから失敗を恐れてはならないのだ。今思えば園田さんも官僚に対して「失敗を恐れるな」と何度も何度もいっていた。
出世主義の官僚は1つの失敗が出世に障ると思うため失敗を恐れる。外交交渉では恐れ戦(おのの)いて相手にのまれてしまうようなことになりかねない。
「失敗してもオレが責任をとる」といって初めて官僚は安心して伸び伸びと交渉をやっていた。失敗を恐れてはいけない、いな失敗の無い成功は怪しい成功だ。(敬称略)2007.01.21再掲
2007年01月21日
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