2013年02月08日

◆「奄美大島だより」

仙田 隆宣


〜奄美で懐かしい民謡「シマウタ」を聴く 〜

奄美大島での出張会議が終わったので、ホテルで夕食を済ませた後、懐かしい奄美大島民謡の「シマウタ」を聴きに行くった。「かずみ」というシマウタを聴かせる居酒屋である。もともと狭い場所で、畳の席は7〜8人も座ったら窮屈である。

カウンターの席も5人位しか座れない。それでも飲みたい(「シマウタ」を楽しみたい)人は、立っているしかないのだ。そういう場所に押し掛けて、席をつくってもらった。
申し訳ない気もしたが遠慮なく厚意に甘えることにした。

畳の席は、「シマウタ」の研究に来ている学生グループと思われる人たちが占めていた。卒業前の学生という感じがしていたのだが良くは分からない。

その中で、奄美の沖永良部の「シマウタ」を歌ってと促されて歌う娘がいた。聴いていた時、急に思い出した。ぼくが鹿児島で在職中、「奄美・沖縄シマウタフェスティバル」を企画し、その3回目のコンサートを奄美・沖永良部で実施することになり、その打ち合わせで沖永良部に行ったことがある。

その打ち合わせで、当時、沖永良部の中学生だった子を使って欲しいと要望があり、それを受け入れたことがあった。彼女は、この沖永良部の「シマウタフェイスティバル」で、沖縄・奄美民謡の第一人者の新良幸人や大島保克、築地俊造といった凄いメンバーと一緒に演奏する機会を得たのである。

島唄居酒屋「かずみ」で歌うのを聴いて、その時の中学生がその娘だということがすぐに分かったので、その時のことを話ししてみたら、彼女も覚えていた。今は、大学生になっていて、今年は卒業だという。成長ぶりに驚いた。

東京から連れてきた私のお客さんにも「シマウタ」を楽しんで貰った。その後、築地俊造氏の店に向かったが、店の明かりが見えず、諦めていたら何と築地俊造氏が出てくるではないか。今から居酒屋「かずみ」に行くと言うので、また「かずみ」に戻った。

ここでやっと、築地俊造氏の「シマウタ」を聴くことができた。流石有名な築地俊造氏の三味線と「シマウタ」は、最高だった。やはり身近で聴くものだと思った。

築地俊造氏は、<奄美大島(奄美市名瀬)在住。30代のころ福島幸義に師事。その後坪山豊と交流し、島唄の磨きをかけた。国内、国外招待多数。高音質の唱法に特徴があり、洋楽にも通じるものがあるといわれている。島唄の即興が得意。日本民謡大賞優勝、総理大臣杯受賞。・参考:ウィキペディア>の超有名人。

ところで、代表的な「シマウタ」は、・行きゅんにゃ加那 ・かんつめ節 ・サカ歌 ・太陽ぬ落てぃまぐれ・徳之島節 ・よいすら節である。

この中で、広く知られているのが、下記の「行きゅんにゃ加那」である。

行(い)きゅんにゃ加那(かな)
吾(わ)きゃ事忘(くとぅわす)れて 行きゅんにゃ加那
打(う)っ発(た)ちゃ 打っ発ちゃが 行き苦(ぐる)しや
ソラ行き苦しや

阿母(あんま)と慈父(じゅう)
物憂(むぬめ)や考(かんげ)えんしょんな 阿母と慈父
米取(くむとぅ)てぃ 豆(まむ)取てぃ 召(み)しょらしゅんど
ソラ召しょらしゅんど

目ぬ覚めて
夜(ゆる)や夜(ゆ)ながと 目ぬ覚めて
汝(な)きゃ事 思(う)めばや 眠(ねい)ぶららぬ
ソラ眠ぶららぬ

鳴(な)きゅん鳥(とぅい)小(くわ)
立神沖(たちがみうき)なんて鳴きゅん鳥小
吾(わ)きゃ加那(かな) やくめが 生(い)き魂(まぶり)
ソラ生き魂

<標準訳>
行ってしまうのですか愛しい人
私の事を忘れていってしまうんですか愛しい人
発とう発とうとして行きづらいのです

お母さん、お父さん
物思いして考えないでください
豆を取って、米を取って食べさせてあげますから

目が醒めて
夜中中目が醒めて
あなたの事を思って眠れません
鳴いている鳥は
立神の沖の方で鳴いている鳥は私の愛しい人の生霊にちがいない

<奄美群島の方言である奄美方言(シマグチ、シマユムタ、シマユミタ、シマムニ、シマフトバなどと呼ばれる。)では、シマは自らの郷里を指し、シマ唄とは郷里の民謡を意味する。 「シマ」という言葉は、奄美群島、個々の島、集落など様々な範囲に対して用いられるが、「シマ」と片仮名表記する場合には集落のことを指すことが多い>。
<参考:ウィキペディアより>

思いがけない出会いに感謝しながら奄美大島での1日目が楽しく、しかも価値ある夜となった。(完)
          <奄美大島郷土愛好家>

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