2013年02月14日

◆繰り広げられる「宗教浄化」の悲劇

加瀬 英明


日本ではクリスマスといえば、子供たちや、恋人と食べたり、電飾や、サンタの衣装を楽しむ、うかれる習慣が定着するようになった。イエスの生誕や、キリスト教とは、まったく無縁である。

アフリカ中西部に、ナイジェリア共和国がひろがっている。人口が1億4000万人で日本よりも多く、国土は日本の2倍半あまりある。首都はアブジャだが、外務省か、商社に働いていないかぎり関心を向けることがなかろう。

人口の半分以上が、イスラム教徒であり、キリスト教徒が45パーセントを占める。

日本では報じられないが、欧米の新聞によれば、昨年のクリスマスイブの晩に、北部の都市ポティスカムにおいて、イスラム教徒の過激派が礼拝中のキリスト教会を襲撃しようとしたが、警察が出動したために、近くの村の教会を襲って、牧師と5人の信者を殺した。

離れた村でも、クリスマスイブにイスラム過激グループによって教会が襲撃されて、12人の信者が殺戮された。ナイジェリアでは、この3年間で1400人のキリスト教徒が、イスラム過激派によって、殺害されている。

もちろん、キリスト教徒も報復を加えている。もっとも、欧米の新聞はキリスト教側だから、イスラム教徒側の犠牲者については詳報することがない。

ナイジェリアでは1970年まで「ビアフラ戦争」として知られた、内戦が2年半にわたって戦われ、200万人以上の死者が出た。その後も、部族と宗教による抗争が絶えない。

宗教による流血の抗争が、世界中で行われている。海外の報道によれば、イスラム国家であるインドネシアにおいても、クリスマスイブに当たって、キリスト教会をイスラム過激派から守るために、全国において10万人の警察官が動員された。

「民族浄化(エスニック・クレンジング)」という言葉は、日本でも知られているが、世界各地の血を血で洗う宗教抗争を、当時のフランスのサルコジ大統領が「宗教浄化(レリジャス・クレンジング)」という言葉で呼んでから、宗教関係者のあいだでひろく用いられるようになった。

アフリカ諸国から、ヨーロッパの旧ユーゴスラビアに至るまで、イスラム教徒とキリスト教徒が「宗教浄化」を競ってきた。

エジプトでは、ムバラク政権崩壊後にイスラム過激派が、コプト教徒を襲撃する事件が頻発して、大量のコプト教徒が国外に難民となって脱出している。コプト教会は、イスラム教が生まれる前から存在した古代キリスト教の一派であって、エジプトのコプト教徒は300万人以上を数えていた。

中東における独裁政権は開明主義をとり、イスラム教を後進的なものとみて、イスラム原理主義を弾圧していた。

イラクにおいても、サダム・フセイン政権が倒れてから、キリスト教徒が迫害されて、イラクのキリスト教徒の3分の2が、すでに国外に逃亡している。

シリアの内戦は、同じイスラム教のスンニー派とシーア派の戦いであるが、それを好機として他の宗派も殺し合っている。

イスラム国家であるパキスタンにおいても、スンニー派とシーア派が流血の抗争を、日常のように繰り広げている。

私たち日本人は幸いなことに、このような宗教抗争と無縁だから、理解に苦しむ。

「宗教」という言葉は、明治に入るまで日本語のなかに存在しなかった。明治以後に、自宗だけが正しいという信仰が入ってきたために、「レリジョン」を訳するために、新しく造った言葉である。

それまで日本語には、宗派が和をもって共存したから、宗門、宗旨、宗派という言葉しかなかった。秀吉がキリシタンを禁じたのは、他宗を邪教とみなして、神社や仏像を破壊したからだった。

中国は無宗教の文化であるが、儒教は和を欠いて、異端を受け入れず、排撃する。

       <「頂門の一針」から転載>
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