2013年02月19日

◆証言 戦後政治の舞台裏

渡部 亮次郎


こう言う本を元労働大臣・防衛庁長官の栗原裕幸さん(故人)が残した。正式には「証言 本音の政治 戦後政治の舞台裏」内外出版株式会社発行 ISBN978-4-931410-C0031 1715円。

1993年に政界を引退したが31年に亘った政治家生活を振り返って、後世に自らを伝える事も意義あることと考え、敢えて刊行に踏み切った、とある。

参院時代、自民党国対委員長代行として採決強行の末に成立を見た大学紛争解決のための大学運営臨時措置法案の処理をめぐる真相を初め、関係する政治家が殆ど墓場に持て行ってしまった数々の緊迫する場面についてできる限り「本音」を吐露し、或いは暴露している。

有名な重宗雄三参院議長4選出馬断念の声明を執筆したのは当時NHKの政治記者だった渡部亮次郎君だったと、私も登場している。恥ずかしい次第だ。

栗原裕幸(くりはら ゆうこう)1920年6月5日、静岡県三島市に生まれる。1944年東京帝国大学法学部を卒業。学徒動員を経て戦後、静岡県農業会に就職。1962年以来静岡地方区から参院議員に2回当選。

1972年、衆院に転じ旧静岡2区から連続7回当選。旧池田派(大平、鈴木、宮澤派)に属す。1978年第1次大平内閣に労働大臣として初入閣。1983年第2次中曽根及び86年第3次中曽根内閣でいずれも防衛庁長官を務める。93年引退。

大学法案に始まり、沖縄国会、日中平和友好条約、大福提携から対立、雇用国会、大福40日抗争、防衛費のGNP1%突破、FSX交渉、リクルート事件、伊東正義の反骨など、栗原氏にしても引退後15年経ってようやく語れる話ばかりである。

いわゆる大福密約について片方の福田赳夫氏は「密約文書」の存在を著者で否定して逝去したが、私は連署者の1人である園田直氏からそれぞれ署名の入った現物を見せられている。

この動きについて大平側近だった栗原さんは「東京品川のホテルで福田、大平、保利茂、園田、鈴木善幸会談で大福提携が正式に決った夜、福田さんから私に電話があり『園田君から経過をよく聞いております。有難うございました』と丁寧なお礼の挨拶があった」として、事実を裏付けている。

従って、1978年5月25日大平氏としては総裁選に事実上の出馬表明はしたものの「大平さんは、この段階では、心中、福田さんは必ず自分に譲ると考えていた」。

「それは、先ず福田さんを先に総裁に推した事。保利、鈴木、園田の立会いの上で「2年で交替」という話を福田サイドが提案した事。福田さんと時折交わす話の節々などからいえばそう考えるのも無理は無い」。

しかし「福田側の見方は・・・懸案の成田開港、日韓大陸棚協定、日中平和友好条約などを処理し、福田内閣の国民的評価は高い。今更2年交替の古証文など馬鹿げている」

しかし約束は約束。それを破って喧嘩しようというのなら「やってやろうじゃないか」と怒ったのは大平派よりもロッキード逮捕後「闇将軍」と揶揄された角栄に率いられる田中派だった。

知将・後藤田正晴の陣頭指揮の下、一糸乱れぬ絨毯爆撃を展開。あっという間に形勢を逆転。福田氏は「天の声にもたまには変な声もある」との棄て台詞を吐いて退場。

したがって続く「40日抗争」は何のことは無い福田氏の私怨晴らしに過ぎなかったのだが、面子上、これを公憤にすり替えたから自民党はあわや分裂の瀬戸際まで追い込まれたのであった。

こうした政局の舞台裏は殆ど明かされぬまま闇に消えるのが普通だが栗原さんは引退後15年にして突如344ページの大作を世に問うて舞台裏を敢えて明らかにした。

ほかにF−1の後継機FSXの開発をめぐる日米交渉の凄まじいまでの迫力ある防衛庁長官としての主張なども臨場感溢れる書き込みは、当事者が明かす事実だけに読んでいて緊張して来る。政局取材に当たるものの必読の書である。

さらに敢えていえば、これから防衛大臣たらむ政治家は政治の鑑として読むべきである。

内外出版株式会社は目黒区鷹番3−6−2
電話03−3712−0141

執筆:07・12・25


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