2013年02月24日

◆饂飩も蕎麦も食べなかった

渡部 亮次郎


うどん=西日本、そば=東日本と言う人がいるが、これは正しくない。

東日本にはうどん処として知られている地域が多く(吉田のうどんなど)、大坂(現在の大阪)では天正12年に蕎麦屋「砂場」が開業し、西日本でも江戸時代には蕎麦文化が広まったとも言われている。

うどんつゆは、西日本では昆布と鰹節・煮干で取った出汁を淡口醤油で調味したもの、東日本では昆布と鰹節の出汁を濃口醤油で調味したものが用いられることが多い。

手軽な庶民食、米食の代用食として、また祝い事に際して振る舞われる「ハレ」の食物として、古くから日本全国で食べられてきた。地域によって、調理法や具材が違う。

秋田生まれの私は、子供の頃が大東亜戦争中で、米もうどん、蕎麦も欠乏していた時代に育ったから、もっぱら米飯中心に育ったが、母親はなぜか饂飩を食べたがった。

日々の農作業がきつく、饂飩を食べて農作業を休めた村祭りやお盆の祝いの日が恋しかったのだろう、と今思う。98で急死した。

秋田には有名な「稲庭(いなにわ)うどん」が有るが、子供のころは食べたことが無かったし、存在そのものを知らなかった。知ったのは中年になって、しばしば帰省して、初めて。

稲庭うどん。秋田県の手延べ製法の干しうどん。ひやむぎより若干太い。製造工程は、食用植物油を使用せず打ち粉としてでん粉を使う点や、乾燥前につぶす事による平べったい形状が特徴。

麺は気泡により中空になっており、そのために食感は滑らか。稲庭うどんについて記述のある「稲庭古今事蹟誌」によると、寛文年間以前に秋田藩稲庭村小沢集落(現:秋田県湯沢市稲庭町字小沢)の佐藤市兵衛によって始まると伝えられている。

また、その製法技術は、日本海交易により福岡からもたらされたとする説や山伏から教えられたなどの諸説がある。

各地で食べられているうどんには小麦の生産される土壌、気候、醤油などの醸造業や漁業などの地場産業、流通を担う商人などの存在により、その地域独特の郷土料理となっているものと、村おこしとの一環として地域の名物としているものなど様々な種類がある。

昔、義兄に案内されて、高松市で『讃岐饂飩』を馳走になったが、もともと「饂飩」に馴染の無い身だったから、大部分を残す失態を演じてしまった

讃岐うどんは香川県特産のうどんで、ツルリとして滑らかな麺。トッピングや食べ方は多種多様である。

現在、東京周辺、近畿ともにうどんの専門店は従来の店とチェーン店がある。また日本全国には、うどんとそばの両方を供する「うどん屋」、「そば屋」と称する店が多いが、うどんを主としている

店では「うどん屋」、そばを主としているお店では「そば屋」と呼ぶことが多い。

江戸時代の江戸の市中においても、うどんは一般に普及していた。特に江戸前期にはまだ麺類としてのそば(そば切り)が一般に普及していなかった。

そばがきとして食べられていたこと(記録としては蕎麦がきの様なものが麺状に切られたのが「1574(天正2)年初めの建物修復工事完成に際しての寄進物一覧の中に「振舞ソハキリ 金永」というくだりが確認できる)から、麺類としてはうどんに人気があったようだ。

しかし、のちに麺類としてのそばが普及したこと、またそばとそば屋が独自の文化を育む母体となっていったこと、脚気防止のためにそばが好まれたことなどにより、うどんは江戸における麺類の主流としての地位をそばに取って代わられる。因みに江戸のそばは信州から甲州街道を通して伝えられたものといわれている。

現在の関東地方は、東京都多摩地区、即ち武蔵野(小平市、東村山市など)、埼玉県西部及び北部、群馬県などでは、「武蔵野うどん」をはじめとするうどん専門店も多い。

実際、平成16年度のうどんの生産量でも1位は讃岐うどんで知られる香川県だが、2位は埼玉県であり、群馬県もベスト5に入っている。これらの地域では二毛作による小麦栽培が盛んで、うどんは日常的な食事である。

大阪、京都を初めとする近畿圏内ではうどんは麺類の主役として、今も老若を問わず根強い人気を誇る。これは近世以前より近辺には播磨や河内など良質の小麦産地が多かったこと、関東地方とは異なり、近畿地方から採れる地下水は軟水であったため昆布との相性が良かったことなど、美味しいうどんを作るのに最適な条件であったことが挙げられる。

そのため、関西、とりわけ大阪では麺よりだしに重きを置き、うどん玉はだしを吸いやすいように、しなやかで柔らかい麺が好まれるようになった。

腰がないといわれる(とりわけ、讃岐うどんと比較して)のは、このような文化的な背景があるためである。

20世紀後半から21世紀初頭にかけて4回の讃岐うどんブームがあり。また讃岐うどんを供するチェーン店が2002年より首都圏から日本各地にオープンし、2005年頃まで続いた。

香川ではうどんの専門店が多く、そばとうどん両方を供している店は少ない。

現在でも大阪では「うどん屋」が多く、京都では「うどん屋」も多い一方で、専門の「そば屋」が多い。江戸時代には既に西と東の物資の交流は盛んであった。

西日本方面では、うどんといなり寿司をセットにして食べることが好まれ、多くのうどん店ではいなり寿司を二つずつ載せた小皿で販売する。


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