2013年03月03日

◆焼夷弾開発は畳に困った

渡部 亮次郎


東京・下町を壊滅させた米軍の東京大空襲の日「3月10日」が又巡ってくる。

アメリカ軍が使用した焼夷弾(しょういだん、英: Incendiary bomb)は、爆弾・砲弾の一種で、攻撃対象を焼き払うために使用する。

そのため、発生する爆風や飛散する破片で対象物を破壊する爆弾と違い、焼夷弾は中に入っているもの(焼夷剤)が燃焼することで対象物を火災に追い込むのが目的。

焼夷剤として使う物としては、テルミットや油脂、黄燐の他にも重油などが用いられている。

良く知られているように、米軍は東京の下町を全焼させる為に焼夷弾を開発、1945(昭和20)年3月10日、隅田川左岸の門前町・深川に1発目を投下した。

この爆撃に先だってアメリカ軍は関東大震災(1923年)における被害実態を事前に徹底的に検証しており、木造住宅の密集する東京の下町が火災被害に遭いやすいことをつきとめていた。

この成果を爆弾の選定や攻撃目標の決定に反映させたため、東京大空襲の被害地域は関東大震災の延焼地域とほぼ一致し、かつ大震災時を上回っている。

米軍は木造家屋は簡単に作れたが、肝腎なのは畳。2階の畳を貫かないことには目的は達成できないということだ。さりとて、まさか日本から調達は不可能。

考えあぐねている時、知恵者がいた。「移民の多い、ハワイで調達できるかもしれない」。結論は正しかった。実験はスピードが速まった、という。

被害規模当時の警視庁の調査での被害数は以下の通り。

死亡:8万3793人

負傷者:4万918人

被災者:100万8005人

被災家屋:26万8358戸

なお人的被害の実数はこれよりも多い。上記の被害数の死者数は、早期に遺体が引き取られた者を含んでおらず、またそれ以外にも行方不明者が数万人規模で存在するためである。民間団体や新聞社の調査では死亡・行方不明者は10万人以上と言われる。

わずか1回の空襲で東京市街地の東半分、実に東京35区の3分の1以上の面積(約41km2)が焼失した。

ちなみにアメリカ側の損害は、撃墜・墜落が12機、撃破が42機であった。

米軍が東京大空襲で使用した集束焼夷弾はE46。

木造の日本家屋を効率よく焼き払う為のもの。子弾として38発のM69焼夷弾を内蔵するクラスター構造を取っており、投下後上空700m程度でこれらが分離し、一斉に地上へ降り注ぐ仕組みになっていた。

焼夷弾は建造物等の目標を焼き払う為の兵器であるが、M69は小型の子弾が分離し大量に降り注ぐため、人体への直撃による即死の事例が、多くの被災者の証言により伝えられている。

例えば戦争を題材にしたアニメ・映画では、落下した焼夷弾が家屋や地面に激突し大爆発を起こし燃え上がる描写が多く見られる。

だが実際には避難民でごった返す大通りに大量に降り注ぎ子供を背負った母親や、上空を見上げた人間の頭部・首筋・背中に突き刺さり即死、そのまま燃え上がるという凄惨な状況が多数発生した。

なおM69焼夷弾1発あたりの大きさは、直径8cm・全長50cm・重量2・4kg程度。

江東区の生き残りは2万5000人しかいなかった。今の江東区は工場跡地や倉庫の跡にマンションなるものが林立する若夫婦の町に変貌。人口は48万189。うち外国人20,449人。2013・3・2

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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