2013年03月06日

◆木津川だより  鹿背山城(第二期)

白井繁夫


第一期の興福寺時代の鹿背山城は、『大乗院寺社雑事記』文明年間(1469〜87)の記事から、この城が興福寺の城であり(地図Z:2番)、その被官(木津氏)の山城(やまじろ)であったことが判ります。
地図Z:http://chizuz.com/map/map142387.html

木津川市教育委員会の『鹿背山城跡第三次発掘調査』によると、「T主郭」の大部分は興福寺の時に完成しており、松永久秀はあまり手を加えることなく、城の中核を維持していたようです。

「U曲輪(くるわ)」平坦面は松永が増築したと考えられる切岸(きりぎし)の構造が確認できましたが、「U曲輪」付近から出土した瓦や15世紀の土器、焼壁土より、武家とは異質の(瓦葺きと土壁の施設)寺家文化の色濃い城造り、であったと考えられます。

『第四次発掘調査』によると、「V曲輪」は築造時に旧地形を大きく造成していることが判りました。その時期は15世紀後半〜16世紀中頃と考えられます。

現在は、『第五次調査』と思いますが、どんなことが判るか、楽しみですね。

第四次までの調査で、松永久秀の改造点は「興福寺時代の城」と比べ城郭をコンパクトに改築して、高度110mラインを中心に、大規模な畝状竪掘群、横堀、点在する竪掘や堀切など非常に高度で堅固な防御施設を築きました。

第二期(永禄時代)の松永久秀は、永禄二(1559)年八月、大和に乱入して筒井氏らの国衆を追い、信貴山城に入って翌年多聞城を築城し、永禄十一年に天理市の龍王山城をおさえて、大和一国を領し、北部の防御を鹿背山城、東の防御は龍王山城、西の防御(河内方面)は信貴山城とし、多聞城を本城とする「四城態勢」を採りました。

大和国の北の守り鹿背山城(地図Z:2番)は地形的にみると天然の要害にあり、交通の要衝を押えて、軍事行動も取りやすく、京都方面の防御だけでなく、情報も得やすい所でした。

永禄4年(1561)には、松永の居城(多聞城)に日本で初めて天守閣を造ったと云われています。

元亀二(1571)年8月、辰市の合戦で筒井順慶が松永軍を破り、大和は筒井、松永両勢力が争いますが、織田信長政権下で松永軍は衰退して行きました。

松永久秀は、天正元年(1573)織田信長に反抗して、多聞城落城し、天正五年十月、再度信長に背き、信貴山城落城をもって、松永父子は滅亡したのです。

『多聞院日記』天正二(1574)四月二十五日の記録「カツ山ノ城落了」とあり、カセ山城が天正二年に落城したと思われます。

余談かもしれませんが、久秀の築城技術は、中世では最高水準と云われており、信長に逆らって負けても殺されなかったのは、彼の特技を信長は利用したかったのか?とも思われます。

鹿背山城は、織豊時代の十数万人の軍団の戦いに耐える備えではないため、信長にとっては必要性がありません。だから、この城は信長軍から破壊されずに残った、中世の貴重な遺構なのです。しかも、永禄から天正までと云う絶対年代で押さえることが出来、それ以降改造されていない非常に数少ない中世の城なのです。

「木津の中央区でURが宅地開発中の城山台の山手に『木津城跡という公園』がありますが、公園の呼称が間違いと云われています。」

@『多聞院日記』永禄十一(1568)年9月14日の記録に、三好政康、香西など3000余ほどの軍勢で木津の平城に入ったことが記されており、山城(やまじろ:鹿背山城)に対する平城(ひらじろ:木津氏の居城)が、木津町内にあったということです。
A 木津から大和へ通じる上津道の見張りを目的とした上之山(上野山)城だ、と云われています。

参考資料:木津町史  『本文篇』
    鹿背山城跡第三次、第4次発掘調査 『現地説明会資料』 木津川市教育委員会
添附資料:『鹿背山城跡配置図』  木津の文化財と緑を守る会

木津川の宇治の一口(いもあらい)からはじまる六カ浜の中で東西約2.6kmにおよぶ泉津(いずみのつ)の港に関し、下津道に接続する吐師(はぜ)の浜、中津道の木津(こづ)の浜、の近隣は散策して来ました。

次回からは上津道(かみつみち)の上津(こうづ)の浜の東部にある聖武天皇の恭仁宮跡(くにのみや)、和同開珎(わどうかいちん)の銭司遺跡(ぜずいせき)、海住山寺(かいじゅうせんじ)など、奈良時代の遺跡や寺院を訪ねてみようと思っています。
横画像-2.jpg

                  <郷土愛好家>
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