2013年05月19日

◆岡本綾子の「私の履歴書」

馬場 伯明


日本経済新聞の最終面(文化欄)には人気の「私の履歴書」の連載がある。1956(昭和31)年3月1日から始まり57年を超える長寿の読み物である。

2013/5/15現在掲載者総数は764人(765回・松下幸之助:2回)。当初は1ヶ月に29〜13人。その後1人1ヶ月が定着している。

岡本綾子(62歳。以下「岡本さん」)が2013/5/1から「私の履歴書」に登場した。ゴルファーでは、ジャック・ニクラウス(2006/2)、青木功(2010/2)に続く3人目だ。

連載はすでに5月半ばにさしかかった。文句なしにおもしろい。毎朝引き込まれてしまう。「だんだんよくなる法華の太鼓!」だ。

新聞の性質上対象者は経済界の人が多い。男性総数724人、内男性スポーツ競技者25人。女性総数40人、女性スポーツ競技者は岡本さんが第1号である。(このお宝♪読まなきゃ、損々〜)

岡本さんの顕著な成績は知られている。今回の「私の履歴書」では本人が初めて語る話もあるようだ。前半で私がおもしろいと感じとくに注目したのは、樋口久子(67歳。以下「樋口さん」)とのやり取りである。

樋口さんは斯界の重鎮である。ゴルフの成績も凄いが日本の女子プロゴルフ協会を率い、(前)会長として低迷していた協会の再建を指揮した。その功績は絶大なものである。

岡本さんは、先輩の樋口さんに少し甘えながらも、ちくちく絡み、意識しながら書いているように思われた。いくつかを抜き書きする。

「(マージャンでは)樋口さんとも卓を囲んだ。考える時間がちょっと長い樋口さんに『プレーはちゃっちゃやるのに、マージャンは遅いわ』と軽口をたたいたこともある。(5/12)」

「プロテストの再挑戦は(1975年)10月18日。樋口久子さんに初めて会ったのはその前日のことだ。名前を聞いたことがある程度だったが、澄んだ目は眼光鋭く、一目見ただけで『あっ、この人は違うな』と思った。
(5/10)」 

岡本さんは端から樋口さんを強く意識していたことがわる。しかし(樋口さんの)「名前を聞いたことがある程度だったが」とは恐れ入るなあ。

「プロ初優勝は(1975年)11月15日、美津濃トーナメント〈千葉〉である。私は樋口久子さん、大迫たつ子さんと最終組でプレーした。その試合はギャラリーもロープ内に入れ、ケガで欠場した小林法子さんが樋口さん、大迫さんと並んで、私の5、6歩先を歩いていた。

すると樋口さんが聞こえよがしに、2人に『岡本って、飛ぶ、飛ぶと言われるけど(大迫)たっちゃんより飛ばないじゃん』。これも駆け引きの一つなのだろうが、ちょっとびっくりした。(5/11)」

「ホールアウト後、『握手するところを撮らせて』と言われたが、樋口さんはカメラマンに向かって『嫌よ、なんで握手しなきゃいけないのよ』。結局、握手を交わすのだが、あの言葉は強く印象に残っている。(5/11)」

数年後。「ドライバーショットは、飛ばし屋の大迫さんより10ヤード先に。女王の樋口久子さんと一緒に回ると、最低30ヤードは先を行った。彼女のランで転がったボールを、キャリーで越す。(5/14)」状態になった。

ふんふん、岡本さんの「言うた者(もん)勝ち」である。樋口さんは今頃種々公開されても苦笑するしかない。反論する術がない。「私の履歴書」が今後回ってくるかどうかもわからないし・・。

「(77年4月、ワールドレディスの18番で)私はアプローチを1メートルほどに寄せパー、樋口さんは3パットのボギーだ。樋口さんがパーパットを外して優勝が決まった瞬間、私は思わずガッツポーズをした。

ところが翌日の新聞に写真が載ると非難囂々。『人のミスを喜んで』とプロ仲間やマスコミにたたかれた。・・・弁解するとよからぬ方向に行きそうだから、傷ついたけどぐっと我慢。(それ以降)私は余計に喜怒哀楽を出さないように心がけた。(5/12)」

無口で口下手の岡本さん。一匹(♀)狼になるっきゃないと、そこで深く自覚し、米国行きを決意したのではないか。

「この年(1981年)は28戦して・・・10月の山陽クイーンズ(岡山)のプレーオフ優勝まで8勝を積みあげた。獲得賞金3233万円余り。日本の女子プロ初の3000万円プレーヤーになり、初の賞金女王のタイトルをつかんだ」(5/14)

ところで、山陽クイーンズは私の勤務会社がスポンサーの1社となり、その関係会社が所有する赤坂カントリークラブ(岡山県)で開催された。

岡本さんを追いかけた。1番ホール。堂々たる腰(お尻)だ。間近のギャラリーから驚きの声が洩れた。「ぼっけえ、きょうてえ。でっけえ。(とても、怖い。大きい)。(日焼けで)顔も真っ黒けのけえ」。

2番ホールは打ちおろしの右直角ドッグレッグの400ヤード。ショートカットの豪打・・。高い松林の上空からボールがグリーン際へ落ちてきた。

17番は谷越えホールで561ヤード。緩やかな左へS字状の打ちおろしの名物ホール(パー5)である。岡本さんは2オン(同然)で楽々バーディ。

当時のクラブはパーシモン(木製)でボールは糸巻きなのに桁外れの飛距離だった。18番ホールのプレーオフで吉川なよ子の連覇を阻んだ。

この大会には磯村まさ子という長身で美人の選手がいた。21歳、170cm。プロアマ戦で同伴した会社の幹部が「女子プロには『◎』のような人が多いが彼女で変わる」と嬉しそうに言った。だが、磯村さんは早目に結婚し大成することなく第一線から消えた。

世界中で最も美しいと言われた岡本さんのスイングである。安定した土台で、ゆったりしたテイクバックからフィニッシュまでまったく力みがない。しかし、鋭い腰の切れでヘッドが走りボールはぐ〜んと飛んでいく。

功成り名を遂げた岡本さんだが、今は生まれ故郷の東広島市(旧安芸津町)の終の棲家に愛犬と同居し、野菜を作り「半農半ゴルフ」の日々だという。その合間に後輩の女子プロらを教えているらしい。

今、女子プロゴルフ界で岡本綾子門下生が話題になっている。岡本さんの教えを受けた女子プロが、次々と優勝しまた上位に食い込んでいる。直近の5/12にも森田理香子が3日目首位、最終3位になった。

秋に広島へ行く。目的は、仲間と旅行、広島カープ応援、本誌投稿者(故)中村忠之さんの仏前へのお参り。本稿の縁で、岡本さんにワンポイント助言を貰えたら最高だが! 即、畑仕事を精一杯手伝わなきゃ(笑)。

私はゴルフ歴約40年。長いのが取り柄だ。公式ハンディキャップは最高で12。80未満のスコアも何回かは出した。20年前にグロス39:38でホームコースのハンディ戦のコンペで優勝したこともある。

ところがトホホ! 昨日5/14はあるコンペで、岡本さんの真似でゆったり振ろうとしたが、成績はメタメタ。じつは、これまでも何回も何回もそうしてきたのだ(笑)。次の5/26の長崎県でのコンペで再挑戦したい。

岡本さんは右打ち(ゴルフ)であっても、優勝ボールはギャラリーへ黄金の左腕(ソフトボール)で投げていた。今回、「私の履歴書」という直球を「さあ、どうしますか」と広い世間へ投げ込んできた。

「樋口さんからは『行きたいなら行ったほうがいい。後悔するから』と後押しされた。(5/15)」樋口さんは米ツアー本格参戦を応援してくれていたのである。

しかし「(1981年)10月に協会に休会届けを提出すると『アヤコは日本を捨てた』とマスコミに取り沙汰され、すったもんだ。(5/15)」となる。

ともあれ「私の履歴書」のアウトコース(5/1〜5/15)は終了した。さあ、米ツアーのインコース(5/16〜31)ではどんな「ショット」が飛び出すか、後半月、興味しんしんである。

「私の履歴書」の場は、岡本さんの晴れ舞台である。岡本さん、がんがん、飛ばしてください。
(2013/5/15千葉市在住)

<「頂門の一針」から転載>

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