2007年03月23日
◆巴里だより 読者からの声
<07.3.12に掲載の「かけがえのない家族」へ読者から寄せられた反響です−編集部>
岩本宏紀(在仏)
◆「もう一人の家族にありがとう。」 京都の女性
バロンちゃんを亡くされた時のお母様のお気持ちを思うと胸が痛くなってまいります。
我が家でもいつか、必ず別れの時が来ると思うと、辛いとか悲しいとかいった言葉では言い表せない気持ちになりますもの。本当に大切な、大切な家族の一員なんですね。
動物の虐待とか、捨てられたとか、置き去りにされたとかいう事を聞くと、いたたまれない気持ちになってきますが、今回読ませて頂いたご家族のお話にはあったか〜い、幸せな気持ちにさせて頂きました。ありがとうございました。
(岩本:お宅のワンちゃんがいかに重要な家族か、よくわかりました。幸せ者ですね、彼は。昨年話題になった、広島県の犬の公園(経営不振で犬たちが栄養失調になっていた件)はぼくの実家の近くです。年末、大学の友人がくるまでぼくを送ってくれたときに、その近くを通り、
彼がそう教えてくれました。あれは悲惨な話でしたね。)
◆チムの死から立ち直らせてくれた本 。。。。元ロンドン、今は巴里の男性
ぼくと家内が見守る中、眠る様に息を引き取りました。全く苦しみもせず、痛がりもせず、手も掛からず、ほんとうに静かに迎えた最後でした。13歳半の生涯でした。あまりに潔いと言うか、なんら苦しまず逝った為涙も忘れるほどのみごとな大往生ぶりに、チムちゃん天晴れ!と思わず洩らすほどでした。
ただそれからが大変で、ぼくのこころになにか大きい穴が開いた様で、なにもヤル気が起こらず、だれかがワンちゃんと一緒に居るのを見ると無性に淋しくなり、これがいわゆるペットロス症候群と言うのでしょうか、とんでもないブラックホールへ落込んだ状態となってしまいました。
自分でも、「こんな状態では立派に亡くなったチムちゃんに申訳ない。あの子もきっと喜ばない。」と思うのですが、どうしても淋しくて、悲しくてたまらない。チムちゃんのことを思うと、涙が溢れてくる。そしてまた落込む。この繰り返し。
そんな時、ある人からペットロス症候群に陥った欧米の人々が捜し求め読む本があるとの話で
「ペットたちは死後も生きている 原題Animals in the Spirit world」ハロルド・シャープ著を
紹介され貪る様に読みました。
そこに書かれてあったのは、動物達の生命は不死である。彼らの死とは、肉体という「抜け殻」からの旅立ちにすぎない。亡くなったペットたちは、姿は見えなくても飼い主のもとをつねに訪れている。
ペットと長年連れ添った人々は、死後において愛するペットと再会出来る。病気や事故で死んだ動物たちも、「新しい世界」ではみんな健康に、幸せに暮らしている。 愛は死によって破壊されない。ペットたちは、あなたが地上界で幸せにしてあげられるより以上に幸せなのである」
何回も読み返すうちに、「チムちゃんもむこうの世界で楽しく生活している」と分かって来て、抜け道の見えない悲しみの世界からふっと抜け出すことが出来ました。 奇しくもこの考えは、昨年NHK「紅白」で歌われ、日本中が涙したと言われるいのちの詩「千の風になって」に通じるものです。
喪失の悲しみを癒し、生きる勇気と希望を与えてくれる「死者からのメッセージ」と本の帯にも記されていますが、人とペットの違いはあるものの、まさしく同様のメッセージが綴られた本でした。
ぼくには愛する犬は消滅したのではない。いつか天国の玄関を通過した瞬間に、クロちゃんも、トリチェリーちゃんも、チムちゃんも一目散に駆け寄って来てくれる、この確信がぼくに元気を蘇らしてくれたものと思えます。そうした思いに至れたことでようやく、もう一度大好きなワンちゃんを飼おうかと思えるようになりました。
(岩本:谷川俊太郎の戯曲に「愛しているなんて言葉を、よくそう簡単に言えるね。」という台詞がありました。チムの場合、「好き」のレベルを通り越して、正に「愛している」という状態ですね。いいお話をありがとうございました。)
◆死んだ猫は守り神 。。。東北の女性
我が家にはいつも犬や猫がいました。犬や猫と共に成長したと言っても過言ではありません。若くして車に引かれて死んでしまった犬、見知らぬ誰かに連れて行かれた犬もいます。
ひどい無駄吠えのため、やっとの思いで田舎に住む親戚に預け、散歩のためにほとんど毎日通ったこともあります。また、怪我をして、片足を骨折していたのを拾い、切断以外に治療法はないと言われ、3本脚で長寿を全うした犬もいました。今飼っているのは2匹のメス犬と2匹のメス猫です。どれも避妊手術をして、元気に暮らしています。
「アニマルセラピー」という言葉があるように、動物と暮らすことは心を豊かにし、癒され、また世話をすることによって忍耐力も養われます。現在、入院している父も、「家で愛犬の散歩をしている元気な頃が懐かしい。本当に幸せだった。」と言います。犬や猫はわたしたちにたくさんのよき思い出を残してくれるのです。
ところでバロンちゃん、とても可愛いワンちゃんだったのですね。
岩本さんの高校時代を支えてくれた猫ちゃんも、今はきっと守り神となって、岩本さんを守ってくれていると思います。可愛がられ、大切にされた動物にはそのような力があると聞いたことがあるのです。
(岩本:ぼくがストーブで焼いていた干し魚を、ブータンがかっぱらったことがあります。逆によそのうちから海苔を一袋くわえて戻り、ぼくにくれたこともあります。持ちつ持たれつ、いい関係でしたよ。)
◆「何かあったらどうしよう」 単身赴任が長かった、今は東京の男性
10年近く単身生活でしたが、我が愛犬ヨークシャテリアのアミーは、留守家族の絆となって頑張ってくれました。時々私が帰ったときには、飛び上がって喜んでくれました。犬の愛はまっすぐで裏切ることはありません。だから犬は愛されるのではないでしょうか。
そのアミーも最近、14歳であの世に行ってしまいました。この1年は失明し、可愛そうな生活でしたが、最後まで粗相(そそう)をすることもなく、家族に愛されながらの生涯でした。私が1週間出張で、家人が「その間に何かあったらどうしよう」と悩んでいましたが、出張の前日の夜、珍しく家族全員がいるところで息を引き取りました。
家族に最後まで迷惑をかけたくない、と思っていたのかもしれませんね。
我々も歳をとり、新たに犬は飼えませんが、犬は可愛いですね。
(岩本:最期まで毅然と生きた、誇り高い犬ですね。ぼくの知り合いの犬も死ぬ当日でもおしっこは外でしました。まさに最期の力を振り絞って立ち上がろうとする姿は痛ましく、同時に気高かった。)
◆バロンとの一期一会 。。。広島の女性
初めて伺ったよそのお家の犬であんなに歓迎してくれた、あんなに可愛い犬に会ったことは、これまでありませんでした。私たちを迎えて、玄関の板の間であのとても小さな身体で何度も何度もくるくる、くるくる回って、こちらがどうしたのかな、と心配になるほどでした。お母様に「喜んでいるんですよ」と言われて、外見だけでなく本当になんて可愛いらしい犬だろうとたちまち大好きになりました。
逆に私たちが帰ろうと玄関に立つと、それまではとてもお利口さんで愛らしかったのに、急に怒ったように「きゃんきゃん」と泣き出します。それで、「これまたどうしたことか」、と訝しく思わず眉をひそめますと、お母様が、「帰ってほしくないんよね」とおっしゃって、愛おしさがいっそう増しました。
とても小さな犬なのに大変頭の良いお利口さんで、こんな小さな犬のどこにこんなに人の気持ちまで分かる脳があるんだろうとつい思ってしまうほどでした。今度またご実家にお伺いする時にバロンちゃんに会えると楽しみにしていましたのに、あっけなく他界と聞いて、残念でなりませんでした。でも、何だかバロンちゃんらしい潔い逝き方だったような気もします。
天国でも、くるくると楽しげに回っているバロンちゃんの姿が目に浮かぶようです。本当に一期一会でしたが、バロンちゃん、素敵な思い出をどうもありがとうございました。そして、バロンちゃんに会うという機会を下さった岩本さんと、バロンちゃんを愛し育てバロンちゃんの気持ちをすぐに分かって通訳してくださいました優しいお母様にも、ほんとうにどうも有難うございました。
(岩本:未熟児でうまれたため、バロンはポメラニアンのなかでも特に小柄でした。本当にあの頭のどこに、あの感情、あの知能が入っていたのでしょうね。)
◆東大に通院したアレルギーのシュナ 。。。。埼玉の女性
犬をカスガイに生きてる私としては、身にしみる泣ける話し満載でした。つい数日前に11歳の誕生日を迎えたシュナ。初めて飼った自分の犬です。ところが酷いアレルギー体質でわが家に来て半年もしないうちからあっちっこっちが痒い痒い!
痒がるシュナを抱いて、地元も獣医さんはもとより、遠くは世田谷獣医さんまで車に乗せて、首都高を飛ばして通院していた時期もあり。とうとう6歳の誕生日を前に若年性白内障まで発症し、両目を手術する事にもなりました。
その白内障の手術をしてくださった獣医さんにあまりにも酷いアレルギーを心配していただいて、本郷の「あの東大」の獣医学科の外来医療センターを紹介して頂いて通院する事1年・・・
飼い主は事故にあっても地元の最低な病院に運ばれ、犬は東大・・・少し苦笑しながらも通院しましたが、
しかしそこでもサジを投げられました。
このシュナには、散々泣かされましたが、それでもいろんな事も学び体験させて頂きました。これも「愛!」犬で修行しています。
我がシュナは5歳まで学校に通っていました。まだわが家に来て間も無い頃にキチンとしつけをいれたく、当時、通院していた獣医さんに相談すると「犬は2,3歳児程度の知能しかないから学校にいれるなんて、子供に九九算を教えるみたいなもんです!」
言い換えれば、2.3歳児の知能はあるんですね。充分に会話の相手にはなります♪ だから、今、私の話し相手はシュナです(笑)犬馬鹿でした♪
◆アメリカのドラマが好きな、Mixiから投稿してくださった女性
私は、子供の頃から今まで一度も寂しいと思ったことがありません。いつも家には犬がいて、その存在はとても温かく大きかったから・・・。
自分が子供の時は友だちで、大人になってからは・・・うーむ何でしょうか、一言では表せないですね。もし、家に犬猫がいなかったら、家族の話題は1/4以下になってしまうでしょう。
家も犬三匹・猫一匹家の中にいるので、毎日大変ですが、それ以上にかえがいのない大切な存在です!ぎゅっとふわふわな命を抱きしめた時、きっと人間は癒されるのでしょうね。
里親の会でもらって来た犬、野良犬時代ひどく虐待されて人間恐怖症の犬、ハンディがあって買い手がなくペットショップからひきとった犬、年とって捨てられ怪我と肺炎で死に掛かってたのを保護してスコティッシュ。 子供の時から飼わないと、相性が合わなくて大変などよくききますが、不思議と犬猫4匹仲良くやってます。不幸な動物達の話を聞くと胸が痛みますが、この世のすべての動物は救えないから、今家にいるこの犬猫を大切にしたい、と思う。
でも本当はそれ以上のものを、もらってるんですよね。
それは、動物と暮らして、そういった温かさや喜びを経験した事のある人にしかわからないでしょうね。
(岩本:ミロクさんがMixiに掲載されている写真のうち、右の白黒の猫:ぼくが飼っていたブータンに似ています。中央のショットランドシープドッグ(ですよね?): ぼくの行きつけのスナック My Room のサブリナに似ています。)
◆猫連合を組む二人 。。。広島の女性
始めに来た子は親に見捨てられた子でした。母猫がすぐ妊娠してお乳ももらえず1匹だけ生き残っていました。生まれた家ではカーテンにぶら下がったりして遊んでいたらしいのですが、猫らしいことは何にも出来ずドジでした。
トイレを済ませたら、とりあえず砂掻きかきするのですが、トイレ済ませたその格好のままでするのでちっともウンチの上にはかかりません。 そんな子でしたが、2匹目が来た時から変わりました。
後から来た子はちゃんとお母さんに猫としてのしつけをしてもらっていて、おまけに兄弟の間で鍛えられていて、うちでは妹なのにお姉さんのように幅を利かせていました。でもその子のおかげでおおきいチャンは、ウンチの後の身づくろい(始めは格好だけ、なめる場所が違っていて大笑いしたものでした)、戸の開け方など覚えました。
普段はけん制しあっている2匹ですが、わたしがチビをいじめると大きいチャンが加勢に来て横で唸って私に対して怒っています。危機に対しては猫連合を組みます。 この子達のために元気でいなきゃと思っています。
(岩本:猫同士いい影響を与え合うと事実、新鮮なおどろきでした。)
◆ペットショップの裏側 。。。大阪の女性
プードルのココアはペットショップで不要になった女の子。身体が壊れ、歯がぼろぼろになるまで子供を生ませるためだけに5年間ゲージで飼われた子。
そして捨てられた。日本のペット産業の中で、ペットショップには可愛い子供しか売買されない。そんな捨てられた犬が数え切れないほどいる。
今日も可愛い男の子5歳を、友人が貰い受けてくれました。ココアによっても、動物は愛される事を本能として求めている事を認識させられました。可愛いペットを捨てないで、神様が彼らに与えた命の最後まで、責任を持っていただきたいと思う。
(岩本:ペットという言葉自体、ぼくにはどうもしっくりきません。もっといい言葉はないものでしょうかね。ただ可愛がり、飽きたらポィっという存在ではなく、命ある生き物であることを認識した表現が。)
(完)
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