岩本宏紀(在仏)
ぼくの友だちに食事のしかたがとても美しい女性がいる。
年に数回同じテーブルを囲む機会があるのだが、見ていて実に気持ちがいい。決してナイフやフォークで音を立てることはなく、スープを前にしても背中が湾曲することはない。和食のときには右手でまず箸をとりあげ、左手を下に添えたうえで改めて右手でもつ。
優雅である。
彼女にそう言うと
「長女だったせいか、子どもの頃から箸の上げ下げを厳しく言われましたよ。でもね、妹は何をやっても怒られなかったの」と彼女は答えた。
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年ほど前からぼくはお茶を習っている。アパルトマンのなかに床の間はもちろん、雪見障子まで備えた茶室をつくった日本女性がパリにおられる。彼女の厚意で月に一度、そこで数人でお点前を教えてもらっているのだ。
先生はたいそうきれいな方だが、姿勢と所作がまた美しい。なつめと茶杓をもって構え、背筋をぴんと伸ばした正座の姿勢、両手で茶碗を押戴くときの指の反り具合。動作の隅々にまで神経が行き届いている。
お茶のこころは「おもてなし」と言うが、お客を歓待するのは清められた茶室、味わいのある茶器、季節の香りを漂わせる生け花だけではない。お茶を点てる人の、無駄のない、それでいて心のこもった所作も大切な要素であることを知った。
そのとき、20年以上前に聞いた、これぞ究極のテーブルマナーだというはなしを思い出した。西洋人と会食したお坊さんが、生まれて初めてスープと対面した。彼がスプーンをとろうとしないので、同じテーブルのひとたちは、どうするのかと興味をもって見守った。
彼はおもむろに両手でスープ皿を押戴き、まるでお茶を飲むかのごとく静かに最後の一滴まで飲み干した。そばにいた西洋人はその所作の美しさに見とれていたという。
テーブルマナーの基本精神もお茶と同じく、同じテーブルに集う人に快く食事をしてもらいたいという思いやりなのではないだろうか。(了)
2007年03月27日
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