2013年08月06日

◆昭和恐慌とアベノミクス時代

山堂コラム 481


「現二今日正午頃二於テ渡辺銀行ガ到頭破綻ヲ致シマシタ―――」昭和2年3月14日の衆議院予算委員会。若槻憲政会内閣の片岡蔵相の発言。昭和初めの金融恐慌が一気に噴き出す一場面。今でも語り草。

事実この日から日本中の銀行が取り付け騒ぎとなり2カ月の間に37の銀行が休業に追い込まれた。しかし本当の昭和恐慌が吹き荒れるのは更に2年後。1929(昭和4)年11月24日。NY株式市場での株大暴落(所謂・暗黒の木曜日)。其の世界大不況の渦に巻き込まれてから。

おりしも浜口雄幸(ライオン宰相)内閣は欧米諸国に後れをとったと金輸出解禁に踏み切る。前・田中(オラが大将)内閣予算の支出を5%減額するなどの緊縮策も井上準之助蔵相に命ずる。

不況は更に拍車がかかり翌・昭和5年1月1日の解禁から僅か半年の間に日本から2億円(現20兆円?)の金・GOLDが流失した。

日本の主要輸出商品だった絹・綿糸の値段は3分の1に。商品市場・株式の大暴落、中小企業の倒産(小売商の30%が夜逃げ)、労働者の解雇、賃下げ。失業者数は300万人(5人に1人)に及び、都市部から鉄道線路沿いに歩いて帰郷する失業者の群れ。

その農村も娘を女衒に売らねばならないほど疲弊。大学・専門学校の卒業者の3分の1が就職出来なくて「大学は出たけれど」が流行語。今の日本の状況がこの時代に酷似していると思うのはオラの思い過ごしだろうか―――

第1次大戦が終わった大正末期から昭和初期にかけての日本は今のアベノミクス時代と相似形である。第1次世界大戦の漁夫の利で未曾有の好景気を謳歌。戦後の方は六本木ヒルズ族のミゾウユウの大バブル。ベルサイユ条約での5大列強入りはランブイエ・サミットG5。

しかし忽ち鈴木商店に台湾銀行。プラザ合意にリーマンショック。破綻寸前の国家財政が漸く均衡に戻らんとする寸前の関東大震災。平成23年は東日本大震災。震災手形・国債乱発。復興予算・フクイチ原発。されど復興も放射能除染も遅々として進まず。

日本が昭和大恐慌から立ち直ったのは猛烈な円安によるダンピング輸出。失業圧力による企業のコスト・賃金高の低減。要するに貧富の差の拡大政策。小泉行財政改革なら規制緩和、非正規雇用の増大。竹中CIAのハゲタカ招致グローバル化。昭和のルンペン、平成のホームレス・・・

以後石原莞爾(関東軍参謀)らによる満州事変へと続く。「柳条湖事件」から2年後の昭和8年、日本は恐慌前の経済水準に戻る。しかしそのまま大陸での泥沼戦争へ。

満州事変に対する欧米からの介入は実は大したものではなかった。蒋介石中国があまりにも煩(うるさ)いのでリットン調査団が入ったが、東アジア・大陸への思惑はロシアを含め各国でばらばら。むしろ欧米諸国は自国植民地圏で排他的ブロック経済を構築するのに大童。いまのTPPにFTA、似たようなもの・・・

東アジアへの欧米からの関心が、同じようにいま薄まってきており中国や韓国が急に居丈高になってきた。韓国などは日本を孤立化させる毒を世界中にばら撒いている。ちょうど筋書き上は「満州事変」直前の状況。

こうした中、安倍・麻生政権は憲法9条改定や靖国参拝を「やるぞ、やるぞ」と声高に語ることが対抗措置・反論になると・・・そう勘違いしているのではないか。

しかしそれは日本の独り善がり、空念仏。せいぜい国内の似非右翼や国家主義者向けのリップサービス。国際的には何の実利も効果も齎(もたら)さない。

日本の国際的孤立化を図ろうとしているチャン・チョンの策謀に嵌るだけ。麻生副総裁の先月29日桜井よし子氏主宰シンポジウムでの「ナチス憲法発言」は、それをいみじくも実証して見せたと言えなくもない。(了)


<「頂門の一針」から転載>
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