2013年08月07日

◆「尖閣は先送り!栗山発言を歓迎」

浅野 勝人
 

なぜか、1年振りに北京大学で「私の授業」が再開されました。7月16日に「的外れの嫌中論」と「公害・環境問題」の2コマ、3時間の集中講義をしてまいりました。

尖閣問題で中断、延期となった講義の再開ですから「尖閣」に触れないわけにはまいりません。下記に講義のさわりを「抜粋」します。

◆<尖閣を「脅威の島」にするな!>

尖閣諸島、釣魚島の領有権問題については、去年5月31日の2回目の講義、外交防衛政策論「不可分のパートナー」で基本的な見解を述べました。ところが、その後、日中間の深刻な争いの原因になっていますので、もう一度、冷静に考えてみたいと思います。

1978年、8月。日中平和友好条約の締結交渉の折、ケ小平副主席は、園田外相に「このまま放っておけばいい」と述べて、尖閣諸島・釣魚島の帰属をめぐる論争を避け、条約の調印にこぎつけました。

これが「領有権の帰属論争棚上げ」「けんかの棚上げ論」です。                        

当時、NHK政治記者として人民大会堂で取材していた私は、争いの基となる領土の帰属論争を棚上げ・先送りして条約調印を優先した経緯(いきさつ)を園田外相から直接聞いています。

ところが、今になって、園田・ケ小平会談の議事録にそのくだりが見当たらないという事が「棚上げ論」否定の根拠になっています。このやり取りは会談の席上、テーブルを挟(はさ)んで日中双方の政府代表多数がいる前で両者が交したのか。

最終会談を終えた直後にテーブルを離れて、2人が肩寄せ合って交わしたやり取りなのか、前者なら議事録に残っているはずですし、後者なら議事録になくて当然です。

当時、そこまで詰めて園田外相に確認しなかったのが悔やまれますが、今更、あの世に逝って、園田さんに確かめて還ってくるわけにはまいりません。私は、正式な議事録に残るような形での会話ではなかったのではないか、むしろ微妙な暗黙の合意を具体的な文字にして残しておかない方が無難だと両者とも判断したのではないかと推測しています。

もうひとつ、多くの場合、「領有権の棚上げ」と「領有権の帰属をめぐる論争の棚上げ」とが混同して議論されている点です。「領有権の事実上の放棄」と「ひとまず言い争いは止めよう」というのでは、根本的に異なります。まるで意味が違います。

そもそも日中双方、園田直・ケ小平両者とも国家主権の放棄につながる「領有権の棚上げ」を認める立場にありません。日本側で云えば、園田外相を北京へ派遣した福田赳夫首相が「領有権の棚上げ」を交渉妥結の条件として認めるわけがありません。ケ小平も中国国内で同じ立場にあったはずです。

さりとて、領有権を主張しあったら、条約交渉は大詰めで決裂です。だから、お互いに交渉のテーブルを離れて、領有権の扱いには触れないで、領有権をめぐる帰属論争を棚上げ・先送りして条約交渉を結着させることで「老練な政治家同士が握った」(合意した)のだと私は確信しています。

今となっては書物で確かめるしかありませんが、園田直の著書「世界 日本 愛」の中に、それを偲ばせる以下の記述があります。

「実は・・・もうひとつ・・・日本の外務大臣として言わなければ帰れないことがあるのですが・・・」
そうしたらケ小平さんは、

「わたってる、わかってる。わかっているから、あんたの言うこと黙って聞いているじゃないか」
と言うんですね。

そこで勇を鼓して、尖閣列島は古来わが国のもんで、この前のような“偶発事件”を起こしてもらっては困ると、こう言ったんだ。
ケ小平さんは、ニコニコ笑って両手を広げてね、

「この前のは偶発事件だ。漁師というのは魚を追っていけば、目がみえなくなるものだよ。ああゆうことはもう絶対やらん、絶対やらん」
とね。

もう私はそのとき天に祈るような気持ちで気が気じゃない。万が一にもケ小平の口から、「日本のもんじゃない」とか「中国のもんだ」なんていう言葉が飛び出せばおしまいですからね。

もう、こう身を固くしてね・・・そしたら「いままでどおり、20年でも30年でも放っておけ」という。言葉を返せば日本が実効支配しているのだから、そのままにしておけといっているわけです。

で、それを淡々と言うから、もう堪りかねて、ケさんの両肩をグッと押さえて、
「閣下、もうそれ以上いわんで下さい」
彼は悠々としてましたが、私の方はもうフウッとこう体から力が抜けていきましたよ。人がみていなければケさんに「ありがとう」といいたいとこでした。(原文のまま)

< この著書のゴーストライターは、NHK政治部記者時代の2年先輩。有能な特ダネ記者から園田外相の秘書官になった渡部亮次郎に違いない。ちょっと、はったりの強い人だが、断じてウソを書くジャーナリストではない。>
(中 略)

日中平和友好条約の締結から35年が経ちました。ケ小平が「20年でも30年でもこのまま放っておけばいい」と言ってから、その歳月も過ぎ去りました。こんな情況をいつまでも放置しているのは、政治に知恵が無さ過ぎます。

日中双方が互譲の精神に基づき、原点に返って、争いを封じ込める新しい仕組みを考え、尖閣問題が両国にとって脅威とならない存在にしなければなりません。

そして、そのための話し合いのテーブルに着くことは、アジア・太平洋地域の平和と繁栄に責任を共有する日中両国政府の務めです。そして、この問題の早期解決を図ることこそ賢者の選択です。

ちなみに、私の見解をひと言で表現してくれた人がいます。
サッカーの日本代表チームの監督だった岡田武史・中国スーパーリーグ、杭州緑城の監督です。

「幼稚園のとき、砂場で遊んでいて、ここから入るなと線を引いて友だちを排除したら、先生に『どうしたら仲良く遊べるか考えなさい』と叱られたことがあった。尖閣問題はそれと同じで、けんかするか、話し合うかしかない。話し合いが嫌なら、じゃあ戦争をするのか。私は(けんかも戦争も)したくない。それだけのことだ。」

以上は、「北京大学での講義」のごく一部です。

当該、安保研サイトの5日、「今朝のニュース解説」によると、栗山元駐米大使が「棚上げ・先送り」の発言をしたことに関連して、国交正常化交渉の折、すでに田中角栄と周恩来両首脳の間で「尖閣の領有権論争は棚上げ・先送り」することで暗黙の了解があった。そこに同席していた栗山元外務次官が確認しているといいます。

覇権条項と共に尖閣が大きな政治問題になったのは、平和友好条約交渉の折のことでしたが、それより6年前、日中両国首脳の間ですでに暗黙の了解があったことを再確認して、ソロを歌い続けてきてよかったと静かに思っています。

(2013/8・5:(社)安保政策研究会 理事長
(元内閣官房副長官、元外務副大臣、元NHK解説委員)






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