2013年08月07日

◆日本に勝ったという中国の虚構

村井 友秀


中国共産党は国民に、共産党が日本帝国主義を打倒したと教育している。だから、国民の反日感情を高めると共産党の人気が上がるのである。共産党に対する不満が高まったとき、国内矛盾を転嫁するスケープゴートとして、日本が格好のターゲットとなるのもそのためだ。だが、中国共産党の主張は歴史的事実なのだろうか。

 ≪日本軍侵攻に救われた共産党≫

1930年代の日中戦争は日本では「支那事変」と呼ばれ、日本政府は「事変」であり、「戦争」ではないと唱えていた。日本にとって主敵はあくまでソ連や米英であって、中国は主戦場ではなかった。日本は「戦争」の敷居を越えないよう、「事変」の枠からはみ出さないよう、主観的には注意深く行動したつもりであった。

しかし、「事変」が拡大するにつれて日本軍の戦死者は増大し、「今、中国から撤退すれば、『事変』の中で戦死した10万人の日本軍兵士の命が無意味になる」という感情論に国民が同意するに至って戦争は長期化していった。

26年に国民革命軍総司令に就任した蒋介石は共産党を「内憂」、日本の侵略を「外患」とみなし、まず共産党を排除した後に日本軍の侵攻に対処する「安内攘外」論を主張した(31年)。35年には国民党の攻撃により共産党は豊かな沿岸部の根拠地を失い、不毛の内陸部へ逃走する。なお、共産党はこの逃走を「長征」と呼ぶ。

その後も、国民党は共産党を軍事的に圧倒していたが、37年7月に日本軍と本格的戦闘に入ると、その攻撃で国民党の組織と軍隊は大きな打撃を受けた。日本軍に攻められた国民党は共産党を攻撃する余裕を失い、日本軍に対抗するため、37年9月に「第二次国共合作」を成立させた。国民党の攻撃によって崩壊の危機に瀕していた共産党にとり、日本軍の侵攻は起死回生のチャンスであった。

しかし、「第二次国共合作」も日本軍の侵攻を阻止できない。11月に上海、12月に首都南京、38年には、徐州など華北・華中の主要都市も日本軍に占領された。

 ≪毛戦略の第三段階は実現せず≫

その時、共産党は何を考えていたのか。毛沢東は「持久戦論」で次のように主張した。「日本は強力な帝国主義国家で、軍事力・経済力は東洋一であり、中国は日本に速戦速勝できない。しかし日本は国土が小さく、人口、資源が欠乏し、長期戦には耐えられない。したがって、敵の後方で遊撃戦を展開し、敵の内部崩壊を促進すれば、中国が最後に勝利する」

「持久戦論」は戦争を三段階に分ける。第一段階は日本軍の戦略的進攻と中国軍の防御の時期である。第二段階は日本軍と中国軍の戦略的対峙(たいじ)の段階だ。第三段階は中国軍が運動戦と陣地戦で日本軍を殲滅(せんめつ)する最終段階である。

共産党によると、第一段階は37〜38年、第二段階は38〜43年、第三段階は43〜45年となっている。しかし、日本軍は44年から45年にかけて50万人の兵力を動員し、日中戦争で最大の作戦となった「大陸打通作戦」を実行して洛陽や長沙を攻略した。

中国の戦場では45年においても日本軍は優勢であった。現実の日中戦争では第三段階は実現せず、日本軍が太平洋で対米戦争に敗北することにより、中国における戦争は終わった。

他方、蒋介石は「日本の大陸政策はソ連を第一の敵としている。中国は日ソ間の矛盾を利用できる。日本が南進すれば太平洋を制する米国と対立する。ゆえに中国が米ソと結んで日本を孤立させれば日本に勝利できる」(「夷を以て夷を制す」)と主張した。

日中戦争中、国民党の地方軍閥は対立抗争を繰り返し、共産党軍は地方都市を占領して日中戦争の主要な戦闘には参加せず、37年の上海戦、38年の徐州戦、武漢三鎮攻防戦にもその後の長沙戦にも、ビルマ戦線にも出ていない。

 ≪日中戦争決した日米戦争≫

蒋介石が期待し、予想したように、日本軍よりも強力な軍事力を持った米軍の対日戦争によって日本軍が崩壊し、日本は太平洋戦争に敗れた。毛沢東の遊撃戦ではなく日米戦争の結果によって、中国戦線でも日本軍は降伏した。

第二次世界大戦における日本軍の戦死者約240万人のうち、中国戦線での戦死者は約46万人である。中国一国と戦っている限り、日本本土は攻撃されず、戦死者が耐え難いまでに夥(おびただ)しい数になることもなかっただろう。日中戦争の勝敗を決した最大の要因は、米国の軍事力にほかならなかった。

中国共産党は日中戦争後に争われた国共内戦の勝者であった。内戦で争われるのは、軍事力ではなく国民の支持である。国共内戦では、腐敗した体制を墨守する国民党は、現状に不満を持つ国民の支持を失って敗者になり、共産主義という未来の理想社会の実現を掲げた共産党が、期待と支持を獲得して勝者になったのである。

中国共産党の主張は歴史的事実とは異なる。虚構に基づく体制は民主主義には耐えられない。(むらい ともひで)「防衛大学校教授・ 産経【正論】2013.8.7

<「頂門の一針」から転載>


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