2013年08月09日

◆ぬるま湯から出て日本が主張すべきこと

阿比留 瑠比


「私たち日本人は、唯一の戦争被爆国民であります。その非道を後の世に、また世界に伝え続ける務めがあります」

安倍晋三首相が6日に広島市で行われた平和記念式典でこうあいさつし、原爆投下について「非道」という言葉で非難したことに注意をひかれた。式典には米国のルース駐日大使も参列しており、首相は歴史問題でやんわりと米国を牽(けん)制(せい)したといえるからである。

折しも読売新聞には映画「プラトーン」や「JFK」で知られる米映画監督、オリバー・ストーン氏のインタビュー記事が掲載されていた。ストーン氏はこう語っていた。

「原爆投下は戦争を終わらせるために必要だったというのは幻想だ」「日本の人々も、米国の神話を受け入れず、なぜ原爆が落とされたかを学んでほしい」

このような見方は米国では必ずしも主流派ではないだろう。とはいえ多様な意見、見解が存在し、かつ堂々と表明されるのは米国らしい懐の深さだといえる。主要紙が平気で「原爆投下は神の懲罰だ」(中央日報)と書く一方で、自国に都合の悪い評論家、呉善花氏の入国は理由も示さず拒否する韓国とは全く違う。

ただ、日本も韓国を笑ってばかりはいられない。戦後ずっと、原爆投下の理非追及も不当性や被害を訴えるのも控えめで、「戦争に負けたから仕方ない」と自虐のぬるま湯に閉じこもり、問題をあいまいにしてきたことは否めない。

例えば、広島市の原爆死没者慰霊碑に刻まれた有名な碑文がある。

 「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」

主語がはっきりせず、まるで日本人が「原爆を落とされるような悪いことはもうしません」と言っているかのように読める。

実際、東京裁判で被告全員無罪を主張したインドのパール判事が広島を訪れた際にこの碑文を知り、「過ちは誰の行為を指しているのか。原爆を落とした者は日本人でないことは明瞭である」と憤ったエピソードはよく知られている。

広島市のホームページによると、碑文の趣旨は「原爆の犠牲者に対して反核の平和を誓うのは、全世界の人々でなくてはならないというもの」だそうだが、そう読み取れるだろうか。

また、長崎市長を4期務めた本島等氏は平成10年8月掲載の産経新聞のインタビューにこう語っていた。

「日本がアジア太平洋戦争などで行った数々の悪魔の所業を思うと、原爆投下は仕方なかった、やむを得なかった、と言わざるを得ない。東京大空襲や沖縄戦も同じだ」

一般市民が無差別に大量虐殺された日本側がこんな状態では、米国が原爆投下の正当化姿勢を改めることは期待し難い。オバマ大統領が21年11月に来日して首相官邸で記者会見を行った際、幹事社だった筆者はこんな代表質問を用意した。

「過去に日本に2発の原爆が投下されたことについての歴史的な意味をどうとらえ、現在もその選択は正しかったと考えているか」

「核なき世界」を目標とする大統領も、この質問には一切答えずはぐらかした。防戦一方で勝てるゲームはない。歴史問題をめぐって日本も、たまには相手の痛いところを突くぐらいした方がよいはずである。(政治部編集委員)
産経ニュース【阿比留瑠比の極言御免】 2013.8.8 11:50


<「頂門の一針」から転載>
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