2013年08月10日

◆日本は何故米国に負けたのか

Mi-Ke


68回目の終戦記念日が近い。1945年7月26日、英米中の名前でポツダム宣言が発せられ、日本の有条件降伏が勧告された。日本政府は、天皇の地位が曖昧なため黙殺した。8月6日広島、9日長崎にウラン、プルトニウムの各原爆を米国は人体実験を兼ね落した。

戦争を始めたのは誰か。日本人の移民排斥、各種経済制裁をして来たのはアメリカだ。

追詰められた日本は、各種資源がこのままでは2年余りで枯渇し、国家として生延びることも戦うことも出来ない為、対米戦争已む無しの方向に進まざるを得なかった。

日本は全権大使2名体制とし、対米戦争回避のための努力をしたが、フランクリンルーズベルト(=FDR)は、次々に経済封鎖を推し進め、かつ日本の解決を希求する諸提案に曖昧に対応しつつ、最後に日本の最大限の譲歩提案に対して、ハルノートを突き付けた。

戦後、東京裁判で唯一国際法専門の法律学者であるインドのパル判事が「モナコ公国やルクセンブルク大公国でさえ戦争に訴えただろう」と評した程の、容赦ないハルノートは日本に戦争を踏切らせた。東条英機の回避努力も水泡に帰し、結局日米戦争が始まった。

最近の調査等では、FDRは暗号解読やその他ルートから日本の真珠湾攻撃を事前に承知していたことはほぼ確実である。日本の開戦通告は、大使館の重大チョンボで、FDRに騙し討ちとされ「リメンバーパールハーバー」の合言葉で、米国議会は30分で参戦を決めた。

米国民は戦争を望んでおらず、ルーズベルト大統領3選目は「貴方の息子を戦場には送らない」との約束で勝利したに拘わらず、日本の真珠湾攻撃は彼に格好の言訳を与えた。

米西戦争の時のメイン号沈没、ベトナム戦争の時のトンキン湾事件、古くはテキサスを乗っ取る為のアラモ砦の戦い等々、倒したい相手に、先に手を出させる形で戦争を始めた。

英国をドイツの攻撃から救いたい。米国民は戦争反対なので、日本を追詰め、窮鼠猫を噛ませて、出来れば先に攻撃させて、一挙に米国民の賛成を得て参戦するのがFDRの戦略だったと言われているが、それ以上に、FDRには日本に対する個人的憎しみを感じる。

FDRのDはデラノ、母方デラノ家の意味で、阿片戦争前後に阿片で巨万の富を築いた、中国利権を持つ一族だ。日本の中国進出は、中国の資産を強奪する強盗に思えたのかもしれない。日系人だけを強制収容所に入れた。

「日本人の頭蓋骨は我々のより約2000年、発達が遅れている」と本気で思っていたのもFDRだ。FDRの深層心理はその辺りに有る。

日本の無条件降伏を言い募り、原爆投下を想定し(実際にはトルーマンの決断)、カイロ宣言で、日本を明治以前の領土に押し込めようとしたのもFDRだ。戦後彼の政府機関や高官に、数えきれないソ連のスパイが暗躍していたことも紛れない事実、汚点だ。

フーバー元大統領回顧録は、レンドリース法を楯に、当時価格で100億ドルもの武器、戦車、戦闘機を無償でソ連にFDRが議会に諮ることなく供与したとしてFDRを非難するだけでなく、「日本との戦争の全ては、戦争に入りたいと言う狂人(FDR)の欲望であった」と断罪している、という(茂木弘道氏講演より)。

未翻訳であるが、重要な歴史的証言だ。

FDRの功積は、中国、北朝鮮を共産主義国とし、米国に共産主義を広めたことである。

<「頂門の一針」から転載>
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