2013年08月15日

◆素人に内閣法制局長官が務まる理由

渡部 亮次郎


2013-08-08 22:47:37 | 時事

法制局長官に小松氏、閣議決定 集団的自衛権の解釈変更加速(産経新聞)政府は8月8日の閣議決定で,内閣法制局長官に小松一郎氏を任命した。

小松氏は外交官試験に大学3年で合格したので,一橋大学を中退して昭和47年に外務省へ入省。欧州局長や国際法局長などを経て,平成23年から駐仏大使を務めてきた外務官僚だが,これまで内閣法制局における勤務経験は全くない。

小松氏はしかし,第1次安倍政権下で発足した有識者会議「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会(安保法制懇)」がまとめた行使容認の報告書の作成作業に関わるなど,集団的自衛権行使容認派とみなされていることから,それだけの理由で内閣法制局長官に任命された。

内閣法制局は,法律案や政令案,条約案の審査を所管する役所であり、長官は,法制局を統率する立場にある。それだけでなく,閣議で法令解釈等についての質問・照会に答えるのも内閣法制局長官の役割であり,国会で政府特別補佐人として憲法や法令解釈の質問に答弁するのも役割だ。

これまでどおりなら内閣法制局長官は,法解釈のプロでなければ到底務まらないはずだが安倍首相は、そのあたりをどう見当をつけたのか。第1次内閣のときの経験から集団自衛権の行使に関する政府見解の変更を期するには「暴挙」をあえて侵すしかないと覚悟したようだ。

歴代内閣法制局長官の就任前における経歴を挙げてみる(ウィキペディアより抜粋)。なお内閣法制局はキャリア官僚は独自採用せず、各省庁から参事官以上を出向で受け入れ、局長級以上の幹部になるのは原則、法務省、財務省、総務省、経済産業省の4省の出身者だけというのが不文律とされ、さらに長官までには、第一部長→法制次長→長官という履歴が1952年以来崩されていないとされていたが、2013年8月、法制局勤務経験のない外務省出身の小松一郎が長官に就任した。

● 大出 峻郎(第57代,任期:1993〜1996)
 東大法卒。内閣法制局第一部長,内閣法制次長を歴任。国語審議会委員も務めた。内閣法制局に移るまでの経歴は不詳。

● 大森 政輔(第58代,任期:1996〜1999)
 京大法卒。司法試験第二次試験に合格し,司法修習を経て裁判官に任官。1983年から内閣法制局総務主幹,第二部長,第一部長,内閣法制次長を歴任。

● 津野 修(第59代,任期:1999〜2002)
 京大法卒。国家公務員上級試験及び司法試験第二次試験に合格し,大蔵省に入省。1978年から1983年まで内閣法制局参事官。1986年から内閣法制局第三部長,第一部長,内閣法制次長を歴任。

● 秋山 収(第60代,任期:2002年8月8日 - 2004年8月31日)
 東大法卒。通産省に入省し,1979年から1984年まで内閣法制局第四部参事官,1986年から内閣法制局総務主幹,第四部長,第二部長,第一部長,内閣法制次長を歴任。

● 阪田 雅裕(第61代,任期:2004年8月31日 - 2006年9月26日) 東大法卒。 国家公務員採用上級甲種試験(法律)と司法試験第二次試験に合格し,大蔵省に入省。1981年から1986年まで内閣法制局第一部参事官を務め,1992年から内閣法制局総務主幹併任第一部参事官,第三部長,第一部長,内閣法制次長を歴任。

● 宮崎 礼壹(第62代,任期:2006年9月26日 - 2010年1月15日) 東大法卒。在学中に司法試験第二次試験に合格し,司法修習生を経て検察官に任官。東京地方検察庁などで検事を務め,法務省刑事局では参事官も務めた。のちに内閣法制局に移り,第二部長,第一部長,内閣法制次長を歴任した後,2006年9月の第1次安倍内閣にて内閣法制局長官に就任。

法制局長官時には,安倍晋三内閣総理大臣から,集団的自衛権の行使は違憲であるとの日本国憲法第9条に関する法制局解釈について解釈変更の指示を受けたが,職員の総辞職の可能性を示唆し抵抗し,阻止したことがある。

● 梶田 信一郎(第63代,任期:2010年1月15日 - 2011年12月22日) 東大法卒。熊本県東京事務所の職員として採用され,その後熊本県庁に異動。1973年に自治省へ移った後は、自治省と地方公共団体を交互に異動する。1996年4月に内閣法制局に異動となり,総務主幹,法制第三部長,第一部長を経て,2006年10月,内閣法制次長に就任。

● 山本 庸幸(第64代,任期:2011年12月22日 - 2013年8月20日) 京大法卒。国家公務員上級甲(法律)試験と通産省上級甲種(事務)試験に合格し,通産省に入省。
1989年から1994年まで内閣法制局第四部参事官。1998年から内閣法制局へ再び異動となり,第一部中央省庁等改革法制室長,第四部長,第二部長,第三部長,第一部長を歴任し,2010年1月,内閣法制次長に就任。


以上を見れば大体分かるように,歴代の内閣法制局長官は,法務省、財務省、総務省、経済産業省の4省からそれぞれ内閣法制局に出向後、長年にわたってキャリアを積み,第一部長や内閣法制次長を経て長官に就任している。

キャリア官僚として内閣法制局に直接任官することはできず,他の省庁または裁判所・検察庁から参事官以上のキャリア官僚を出向で受け容れている。また,必須ではないにしても,歴代の法制局長官には,裁判官・検察官出身者や旧司法試験合格者が相当多くを占めていることが分かる。

これに対し,小松氏は外務官僚としての経験は豊富であっても,内閣法制局に勤務したことは一度もない。外務省の所管する法令や条約のことは知っていても,内閣法制局が行う法令の審査事務や意見事務については,素人と称して差し支えないレベルだろう。そのような人が,突如として内閣法制局長官に抜擢された。

安倍総理は,以前に憲法の解釈変更を指示して内閣法制局に阻止されたことがあり,小松氏の起用がその報復人事であることは明らかだが,内閣法制局長官は官僚の中でもトップクラスの権威ある役職であり,このような人事は,下手をすれば官僚すべてを敵に回す危険性がある。

さらに歴代長官たちは「OB」としての結束を固め、特に集団的自衛権の行使に関する解釈は絶対変更しないよう現役たちに「圧力」をかけていると噂されている。

だから日本共産党幹部会委員長 衆議院議員 志位和夫氏はこの人事を「クーデター的人事」と批判した。

民主党時代,内閣法制局長官による国会答弁を廃止し,弁護士資格を有する枝野氏や仙谷氏が法令解釈に関する答弁を担当するようになったこともあるがが,いずれも実際は内閣法制局の官僚が示したとおりに答弁するしかなく,野田政権下では内閣法制局長官による国会答弁が復活した。

このような経緯から考えると,小松氏は持論とする憲法9条の解釈以外では,おそらく内閣法制次長やその部下達に全面的に依存せざるを得ないだろうう。部下達からは,「名ばかりの長官」などと揶揄されることもほぼ確実だ。憲法9条の解釈を変更させるだけで退任せざるを得ないだろう。本人も安倍さんも納得づくだろう。

大手メディアはこの人事について,「集団的自衛権の解釈変更加速」「行使容認へ布石」などと報じているがが,役人たちはどうやって邪魔するか見ものだ。 2013・8・14
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