2013年08月16日

◆我が国は軽佻浮薄化したのか

前田 正晶


遺憾ながら高齢化が進むつれて、この世には「イヤだな。軽すぎるな」と思うことがドンドン増えてきた。言ってみれば、些末な出来事だが、それらを採り上げて少し溜飲を下げてみようかと思う。

*チョキを出す:
どうやらこれを「ピース・サイン」とか「V(ブイ)サイン」と言うらしい。下品で気に入らない。と言うのも、若者というか、テレビなどに出てくる連中は何かと言えばチョキを出すし、一般人も写真を撮る場合などに「これを出せ」と何処かの誰かに刷り込まれているらしい。

他人(ひと)がやるから自分もやるという軽さがイヤだ。「ブイサイン」だが、学校でろくな英語と言うべきか、アルファベットを教えないからこういうことになるのだが、あれは「ブイ」ではなく「ヴィー」である。その流れの中にあるのが「拳骨で撲る」で、本来は「拳骨」というべきを「グーで撲る」など言うのもイヤらしい。

*ら抜き言葉:
これが国語教育の堕落だ等言いたい気もするが、そんな大それたことまで考えていない。イヤなことであり笑ってしまうのが、テレビに出てくる十分な学校教育を経てこなかったタレントどころか、彼らが言う一般の人までも「ら抜き言葉」しか話せない時代に入ってしまった。情けない。

そこに輪をかけるのがテレビのスーパーインポーズとやらで、必ずら抜き言葉でないように修正が施されている。そんな配慮をするくらいならば、安物のタレントどもに国語の試験でもしてから出せばどうか。

*中折れ帽もどき:
軽佻浮薄なタレントどもやアーティストと誤認されている歌手もどきの間の流行である。昔は大人が被っていた中折れ帽と同じ格好をした安物の帽子を額を丸出しにして被って登場するのを見せられると、胸が悪くなる思いだ。

あの格好は何とか言う即席で謎がけを解いてみせる漫才コンビがしたのを見たのが最初だったと思う。今や一般人までに大流行である。一般の若者が軽佻浮薄なタレントの真似をする流行が情けない。

*野球のカタカナ語:
8日からだったか高校球児の憧れ、甲子園の野球が始まった。ここで何も甲子園野球の中継だけを槍玉に挙げるのは不公平、イヤ、民主的ではないかも知れない。だが、くさしておこう。

野球のカタカナ語はその99%が造語であって、英語の通りなのは「ストライク」と「ボール」、「アウト」と「セーフ」くらいだと敢えて言っておく。兎に角「ピッチャーが良いストレートを投げ」て、それが「アウトコース」に決まるか、時には「デッドボール」にもなってしまう。

そして次には4番打者が「ネクストバッターズサークル」に控えていたりするのだ。「見事なバックホーム」で得点を許さなかった場面があった。

多くの方がそれが「日本語となって通用しているのだから、目くじら立てることはないじゃないか」と言われるが、当にその通りであり、放っておいても良いこと。だが、NHKのご用解説者は兎も角、アナウンサーさんたちはあのカタカナ語に対する英語がどうなっているかくらいを心得ているのかなと問い掛けたくなる。「ランニングホームラン」や「ランニングスロー」が文法的に奇怪であると考えても良いのじゃないかな。

*サザンオールスターズとAKB48とジャニーズ:
私はこの程度の連中をCMに使いたがる広告宣伝会社も兎も角、スポンサー様方が如何に消費者を見下しているのかと思う時、とても情けなくなってしまう。しかも、多くのミーちゃんとハーちゃんは彼らを崇め奉って、コンサートなり何なりに殺到する。その昔「蓼食う虫も好き好き」という格調高き諺があったが、これらの何処をお好きでも、私が介入することではない。だが、良い趣味だとは思えないのが残念だ。

だが、何としても気に入らないのは「あの程度の芸人(の域に達しているのは桑田佳祐一味だけだろうが)を出しておけば、視聴者が喜んでCMを見るもの」と決めつけているかの如きスポンサー様も、国民の民度が低いと思い込んでいるかの如きで情けないのだ。

こんなことだがから、アメリカでどんな階層の者たちの中で流行っているかを知らないようで、学校教育の科目の中にダンスを取り入れたりする官庁があるのだ。何時になったらマカーサー時代の愚民教育から脱却できるのか。だが、遺憾ながらすでに彼が目指した愚民を十分に育て上げてしまった間が否定できないのが情けない。
<「頂門の一針」から転載>
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