2013年08月18日

◆国家戦略あっての集団的自衛権

西村 眞悟


17日の産経新聞朝刊第一面には、「集団的自衛権は『地理』『国益』で歯止め」と見出しをつけた集団的自衛権の特集記事が出ている。

そして、「集団的自衛権をめぐる問題点を議論の焦点」として8つのケースの現状と論点の一覧表が掲げられている。

例えば、

現状・・・公海上で米艦が攻撃されても自衛艦はなにもできない・・・
論点・・・自衛艦が米艦を攻撃した敵国部隊に反撃する

と言う具合である。つまり、具体的な現場におけるシュミレーションが8つ列挙されているのだ。

そこで、現在の集団的自衛権行使議論の気になっていることを大まかに書いておきたい。

(1)集団的自衛権は国家戦略と不可分一体である。

まず、政治家は国家戦略に関心を集中させ、この国家戦略から観て集団的自衛権行使が国家の死活問題として当然のことであるとの明確な結論を提示すべきである。

政治が、この結論を明確に掲げたうえで、本日の産経誌のように現場の様々な事例をピックアップして図上演習するべきである。

また、この図上演習は、作戦領域の問題であり政治家や官僚(つまりシビリアン)の関与は必要ない。

そのために、議論を次の三つに分けることが必要だ。

A戦略段階・・・敵は何国か、味方は何国か、を決定すること。

B戦術段階・・・敵国と、何時、何処で戦うかを決定すること。

C戦闘段階・・・決定された戦術に基づいて具体的な戦場で如何にして敵を殲滅するかを決定し実行すること。

Aは、政治の専権事項である。
Bは、政治と軍事(参謀本部)の協働事項である。
Cは、軍事(軍人)の専権事項である。

17日の産経の特集の議論は、AとCがごっちゃになっている。

まず政治は、Aを決定し、よって、集団的自衛権行使は当然であると明確な結論をだす。

そのAの決定からBとCが導かれる。

このCに関して、軍事に素人の政治家や官僚が、ああせよこうせよと議論に参加すれば有害になる。

繰り返すが、政治家はまずAの段階で集団的自衛権行使を明確にせよ。どこかの防衛庁長官経験者のようにオタクっぽくC段階での細かい議論をする必要はない。

くれぐれも、「国家戦略なき戦後」の惰性のなかで、集団的自衛権の議論を矮小化させてはならない。

ついでに言うならば、我が国の政治に明確なA段階がないから、つまり同盟国は何処で敵国は何処かを明確に打ち出す政治がないから、沖縄の基地問題やオスプレイ配備が迷走するのだ。

(2)そもそも自衛権発動の段階は何時なのか

今、我が国で行われている集団的自衛権の議論も、まさか「専守防衛」を前提に行われているのではないだろうな、と念を押しておきたい。

「専守防衛」とは、自衛権発動を相手から具体的な攻撃を受けてからとするもので、何処の誰が考えたのか知らんが、先制攻撃を禁じる我が国の奇妙な必敗の防衛思想である。

よって、我が国の「有事法制」は、我が国内が戦場になったことを前提で議論されている。曰く、有事には戦車は赤信号で停止する必要はない、等々。

しかし考えられよ。我が国内が戦場になれば、我が国の「防衛」は不可能なのだ。既に負けているからだ。

昭和二十年八月十五日、何故我が国が屈服したかを振り返れば分かる。

よって、集団的自衛権を議論する前に、そもそも我が国の防衛ラインは何処か、自衛権発動時点は何時か、の大方針を明確にすべきだ。
 
海洋国家である我が国の防衛ラインは、大陸側敵基地である。そこで、ミサイル発射準備が具体的に動き出せば、自衛権発動状況にはいる。

(3)自衛権に地理的制約はあるのか

大陸間弾道弾が出現している。それはもはや「通常兵器」である。

しかるに産経新聞によれば、安保法制懇談会の座長(元外交官)は、「地球の裏側まで行って関係ない国を助けるわけではない」と発言し、「地理」と「国益」で集団的自衛権行使に制約を加えることを示唆していると
いう。

しかし、地球は丸いのだ。裏も表もない。確かに「関係のない国」を助ける必要はない。しかし、国家の存立という国益の為なら、地理的な理由で自衛権行使に制限を加えてはならない。

地球内でも宇宙空間でも、国家の存立の為に自衛権を行使しなければならない。遠いところだから、行きません、国家が滅びても仕方がありません、というような馬鹿馬鹿しい議論をしてはならない。

なるほど、外務省などは、集団的自衛権の定義を、次のように、何か関係のないところにちょっかいを出すような権利であるかのように説明していた。

「他の国が攻撃されている場合に、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず攻撃する権利」しかし、この定義は、集団的自衛権の行使不可の結論のための定義である。

集団的自衛権は、「他国に対する攻撃が、自国に対する攻撃と認めえる場合に自衛権を行使する権利」である。

以上、集団的自衛権行使に関して、何か「専門家」によって、議論が矮小化しているように思えたのであえて記した次第。
2013.08.18

<「頂門の一針」から転載>
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