2013年08月27日

◆藤圭子と私

川原 俊明


「圭子の夢は夜ひらく」。1970年ころ藤圭子が歌っていた大ヒット曲でした。

藤圭子が不慮の死を遂げたという報道がありました。ご冥福をお祈りします。芸能人とは接点が少ない私ですが、藤圭子だけは強烈な思い出があります。藤圭子というよりも、藤圭子にまつわる私自身のなつかしい強烈な思い出でがあります。

当時、私は早稲田の貧乏学生でした。早稲田界隈の下宿屋に、3畳一間の狭い部屋に一か月3,000円(畳一枚1000円)の家賃で住んでいました。

司法 試験受験のため、大学の図書館と下宿を往復する毎日でした。下宿にはテレビもなく部屋のラジオも滅多に聞かない生活でした。なぜなら部屋の間仕切りはベニ ヤ板だったからです。

朝起きてベニヤ板の壁にもたれてお茶を飲んでいると、偶然にも隣の学生も同じ位置にもたれたので、壁がせり上がって驚いたことがあり ます。信じられないことですが、背中の異様な感触を数十年後の今もなつかしく覚えています。

そんな下宿生活だったものですから、ラジオを聞くと隣の部屋に 丸聞こえなので遠慮して聞かなかったのでした。ですから当時の流行歌も知らず、ひたすら勉学の日々を送っていました。

あるとき、仲のいい高校時代の友達が、大阪で就職し、東京出張の機会に私に会いに来てくれたことがありました。「おいしいもの食っていないだろう」と貧乏学生の私を案じて、新宿の繁華街にある寿司屋に連れて行ってくれました。
 
東京在住とはいえ、ほとんど早稲田村から出たことがない私には、新宿の繁華街はむしろもの珍しさが一杯でした。食事を終わって寿司屋を出たとたん、目の前に着物姿の小柄な可愛い女性が立っていました。

大阪の友人は、「藤圭子や」と目を輝かして私に伝えてくれました。しかし、当時の私は、「藤圭子」の名前も顔も知らず、ましてや「圭子の夢は夜ひらく」といったヒット曲も知りません。ただ可愛い子だ、と思って見ていた女性が超有名人だと知った強烈な印象が残っています。

私と藤圭子との接点はただそれだけでしたが、当時は世間知らずの「今浦島」であった私。今回の訃報を伝える新聞記事が、「藤圭子と私」の記憶を蘇らせてくれました。
                       (弁護士)
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