2013年08月29日

◆知の頂上は遥かなり

平井 修一


8月の中ごろ、視界がぱーっと広がったような、田んぼに引いた水がぴーんと張ったような、そんな風に感じた。ガラクタを含めて脳みそにため込んできた情報がすべてリンクされ、この世のことは大体理解きるような“法悦”を感じ、「ああ、62歳にしてようやくここまできたか」とうれしく思ったものだ。

それから数日後・・・

小生はずいぶん昔から「宗教を会得すれば心が広がる、寛大になるなんていうのはとんでもない、むしろ心が狭くなる、偏狭になる、頑迷固陋になる。宗教は世界に平和をもらさなないし、個人の安心立命にも役立たない。宗教が救った人数よりも殺した人数の方が多いだろう」と思っており、「これは俺が最初に気づいたことだろう」などと悦に入っていたのだが、とんでもない、先人がとうの昔にちゃんと書き残していたのだ、と思
い知らされた。

<私はこんどの旅行で、中近東からバルカンにかけて、宗教の名において行われたさまざまな戦いの跡を見てきた。近代的自覚に到達するまでの人類の頭は、宗教によって完全に支配されていた。宗教は人類思想の最大公約数で、それ以外の“思想”の割りこむ余地はほとんどなかったのである。

諸民族間の闘争も、大部分は宗教という“思想”の名において行われたのである。それがいかに残酷なものであったか、近代人の想像を絶するものがある。しかもこの種の戦いは、今もなお続いているのである。

アラブ諸国に残っている回教寺院やローマのヴァチカン宮殿などを見ると、宗教という名の“思想”の力が、いかに強大で、いかにすさまじい搾取を行っていたかということがよく分かる。

各宗各派の対立抗争が激甚をきわめていた時代には、地上に天国をもたらすということによって、実は戦慄すべき修羅地獄をつくり出していたのである。

宗教の力、信仰の熱度とともに、イントラレント(非寛容)な性格は原則として高められていくものである。それを抑えていくことが“共存”の必須条件である。だが、他宗派に対して極度にトラレント(寛容)な宗教は、もはや宗教でなくなっている場合が多い。そこで“共存”のための最上の条件は、宗教そのものを捨てることだということにもなるわけだ。

私は“無思想”ではあるが、私が今日まで終始一貫してやってきたことがたった一つある。それは宗教と偽善者の排撃である。これだけはどうしてもやめられない>

大宅壮一(注)は「“無思想人”宣言」でこう書いている。小生が“発見”する30年も前の1955年である。だから小生の気づきが無駄だった、意味がなかったわけではないだろうが、ずいぶん遠回りをしたなあとがっかりした。デカルトは古今東西の本を読破して、「もう付け加えることは何もない」と言ったそうだが、やはり多少はがっかりしたのではないか。

その後にキリスト教のことを調べていたら、カトリックに対する改革派のプロテスタント、通称「ピューリタン」(清教徒)はピュア(清潔、純粋)が語源で、聖書にのっとって質素な生活を送り、地上に理想社会(神の国)を実現し、神に近づくことができるという考えで、いわば「キリスト教原理主義」だった。

改革派というからプロテスタントは軟派、世俗主義かと思っていたらまったく違っていた。当時の絶対王制(民を土地に縛り付ける封建制度)とその統治機関であるカトリック教会(および労働しない搾取階級)に対して、個人と神の直接的な結びつきを重視し、これが個人の自由の尊重、やがては民主主義、国民主権の主張となり、産業革命への寄与、資本主義の発展に結びついていったという。

「質素な生活」と利益追求の経済発展とは矛盾するように見えるが、「労働により儲けた利益を(価格低減、配当金、慈善事業などで)社会に還元すれば公共の福祉になる」という理論のようだ。尊皇攘夷、王政復古の明治維新が、いつの間にか「座して植民地になるか、それとも列強になるか」という選択になり、開国、近代国家づくりに向かっていったようなマジック、化学変化があったのだ。

ことほどさように知らないことばかりで、驚いたり、がっかりしたり。「この世のことは大体理解できる」なんて一瞬でも思ったのは、無知ゆえの思い上がり、増上慢だった。60年生きてきても学んだことはごくわずかだったのだ。

森羅万象のすべてを知ることはできないから、せめて広く浅くでも知りたいなあとは思う。しかし、それもなかなか難しい。それなら身近な政治、経済、歴史、文学あたりは70点をとれるくらいには通じていたいと思うが、政治だけでも歴史学、近代思想史、政治学、社会学、地理学、法律学、憲法、民法、内政、地方自治、外交、経済学、経済政策、財政論などなど多岐にわたり、かつ底が深いから容易ではない。

小生が興味を持っている「日本と世界の近現代財政論」だけでも学びつくせるものではないだろう。

政治、経済などそれぞれの分野で「知」の頂上というのはあるのかもしれないが、登頂できるのか。小生が遊び半分でちんたらとやってきて、「そろそろ頂上かも知れないなあ」と思っていたら、「登山道入り口」の標識にようやくたどり着いただけで、よく見れば「ガレ場(注2)多し、熊に注意、5合目まで10キロ、5時間」などとあり、「体力はないし、日没まで時間もない、どうしようか」と呆然としているのが現状だ。

政治、経済の過去と現在の初級は学べるかもしれないが、一番面白い「これからの制度設計をどうするか」というのは大学院級で、実はノーベル賞級の頭脳やスパコンをもってしてもとても正解を出せるものではないようだ。理論的には正しくても実現できない政策はゴマンとある。民主主義下の政治、経済は空気や潮流で動くから難しい。だからこそエキサイティングなのだろう。その興奮を体感してみたい。

そうしたことに興味を覚えるのは「知的好奇心」で、登山家を真似すれば「そこに“知”という山があるから」頂上を目指したい。一峰を征して見晴らせば、さらに高い峰が無数にあるから、古人、先達は「学べば学ぶほど己の至らざるを知る。知の道は遥かなり、生涯勉強」と言った。頂上はちっとも見えないが、一日一日、一歩一歩、学んでいくしかないのだろう。(2013/08/28)

               ・・・
注1)大宅壮一:おおやそういち(1900 - 1970)、ジャーナリスト、評論家。大阪府に生まれる。東大在学の頃よりプロレタリア文学運動に参加の一方、従軍記者としても活躍するなど自在多彩。戦後は「駅弁大学」「一億総白痴化」などの批評語を時代に突きつけるなど、ジャーナリズムの各分野で活躍した。没後膨大な蔵書類をもとに「大宅文庫」が作られている。同時代で知っておきたかった論客である。

注2)ガレ場:石や岩が堆積していて歩きにくい斜面のこと。大きな岩が堆積した所はゴーロと呼ばれる。

<「頂門の一針」から転載>
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