2013年10月25日

◆「源氏物語」は世界最古の政治小説

毛馬 一三



世界最古の長編小説「源氏物語」が一条天皇に献上されたのは、寛弘5年(1008年)11月17日。

紫式部が、父の赴任先の越前国で当時、何よりも貴重だった「越前和紙」とめぐり合い、2年間にわたって思いのままに、物書きに熱中したことは、本欄ですでに触れている。(平成20年8月29日号=和紙と生きた紫式部)

ところで、この「源氏物語献上」に先立つこと3年前の寛弘2年(1005年)12月29日に、紫式部は、宮中に呼び出されている。何とこの召し上げの仕掛け人が、藤原道長だったのだ。

藤原道長が、どうして紫式部を宮中に召しあげたのか。それは当時宮中で繰り広げられていた、壮絶な権力闘争の暴露利用に大きな目的があった。

その権力闘争とは、道長の兄道隆盛の息子「伊周(これちか)と道長とが、真っ向から繰り広げていた藤原同族の宮廷内の対決だった。

内大臣伊周に対抗するには、叔父の道長はこれを超える役職へ昇進するしかなかった。

道長は画策した。一条天皇の生母で、道長実姉の強力な支援を懇願して、「関白」に次ぐ地位である「内覧」職を獲得し、役職の上では、伊周とは一応互角に並んだ。

だが、道長にとっては、まだ伊周より後塵を拝していた。つまり伊周は、妹定子を一条天皇の中宮に送り込み、堅固な地位を確保していたのだ。

道長にしては、この何としてでもこの壁を突き崩す必要があった。このため何と一条天皇のもう一人の中宮に、娘の彰子を送り込んだのである。

こののち中宮彰子は、1008年9月11日、「敦成(あつひら)親王」(後一条天皇)を出産。道長は、これによって、権力の頂点を完全に立った。

しかしそれに至る以前に、なぜ紫式部の召し上げにまで手を打っていた政治家道長の老獪な魂胆とは一体何だったのか。

恐らく文学好みとの一条天皇の気を惹くため、紫式部の「源氏物語」の献上を早々と仕組んでいたと思われる。言い換えれば、天皇の歓心を買うための一種の「政争の具」として、紫式部の召し上げを完備していたのだろう。

そんな中で紫式部は、中宮彰子の教育係として勤める傍ら、3年近く宮中の様々の人間模様、権力構造、熾烈な利害闘争などをつぶさに観察しながら、冷静な考察と巧みな筋立てを組み立てながら、「源氏物語」を書き綴っていたに違いない。

色とりどりの54帖の冊子、400字詰原稿用紙にすれば、2300枚ともなるとてつもない長編小説。

越前和紙と墨を使ったきらびやかな「源氏物語」の献上が、一条天皇の心を捉えて仕舞ったことは、想像に難くない。

次々と広がる物語の中で、天皇自身が、思い当たる舞台での隠れた「政治暗闘と情念の世界の展開」が、登場人物への特定にすべて繋がり、天皇にとりこれに勝る宮中裏舞台の政治暗闘と政治を操る宮中同士の悦楽ぶりには、眼を光らせたであろう。

そう見ていくと、源氏物語は、「悲恋」、「純愛」、「禁断の恋」の物語ではない。むしろ宮中現場で目撃し、鋭敏に感じ取った我が国の最初の政治記録文学と思える。

ひょっとしたら世界で最古の「政治小説」と言ってもいいかもしれない。「政治小説の源氏物語」となれば、また。評価の仕方も見方も読者層も、大きく変わっていくのではないだろうか。(了) 再掲
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