2013年10月30日

◆「満洲国」建国譚(3)

平井 修一


清が滅びて中華民国が建国されたが(1912)、中華民国には金も軍事力もないから、要は支那全土が無政府状態になった。軍閥が各地で結成されて群雄割拠、ときに対立抗争、ときに合従連衡の戦国時代になり、この乱戦に外国も介入したから、もうグチャグチャである。

この混乱の中で日本軍の支援を受けて満洲の支配者になったのが張作霖だった。

漢人の満洲進出は明末頃(1600)から始まっていたが、これが増える一方だったので清朝は祖先発祥の地である満洲を「封禁の地」とし、特に最大都市奉天への漢人の立ち入りを厳禁した。

しかし、清朝の建国で満人の有力者はみな北京へ移住してしまい、日本の3倍、フランスとドイツを合わせたほどという広大な地に残っている満人たちは200万人ほどで、結局、農作業などで漢人を引き入れざるを得なくなった。

関内、すなわち長城の南の漢人は人口があふれて生活に窮していた者が多く、その上に軍閥や匪賊が跋扈しているから住みにくく、満洲で仕事があるのならと堰を切ったように満洲へ流れ込んでいった。「封禁の地」は有名無実となり、やがて反故にされたのだ。

漢人が増える前にはロシア人が満洲へ侵入していた。南下政策を進めるロシアはすでに北京条約(1860)で満洲の北部を領土とし、さらに南下して実効支配を強めていた。

日清戦争(1895)で日本が勝つと、ロシアは三国干渉(注)で日本が手に入れた遼東半島を清に返還させ、さらには清が日本に支払う賠償金まで貸して清に恩を売りつけた。

ロシアが親切であるはずはなく、その見返りに旅順、大連を獲得、また満洲での鉄道建設、鉄道付属地での行政権、港湾開発、鉱山採掘、森林伐採、警察権、軍隊による鉄道守備権など入手した。

この際にロシアが清を口説いた台詞は、「満洲、支那への日本の侵入を防いでやる」というものだった。

この鉄道建設などでも漢人の労働力が必要であり、満洲は瞬く間に漢人の国になっていったのである。その地で一人の男児が生まれ、張作霖と命名された(1874)。

父親がいかさま博奕がばれて殺されたのは張作霖が14歳のときだった。生活に困った一家は叔父の経営する宿屋へ転がり込み、働いた。そのままいけば彼は宿屋の番頭で一生を終えるはずだった。ところが小さな事件に遭った。宿屋が匪賊に襲われて屋根と壁以外のすべてを奪われたのだ。

<(宿屋のあった地方は)匪賊団が多く活動していた。満洲全土は匪賊の大産地で、人民は閉口困惑していた。張作霖は母と叔父と訣別して旅に出、奉天省で脱走兵、ゴロツキ、失業人夫をかき集めて匪賊団を作り、その頭領となった。その時代、気骨のある満洲の青年は匪賊となって稼ぐのが社会的風習として珍しくなかった。

人を殺し奪うのがいかに儲かるかを体験したからであろう、張作霖は部下300人を指揮して2年間残虐の限りをつくして資産を作った。父親に似て親分肌で狡知に優れていたのである。誘拐した娘が妻となり生まれたのが張学良である>(古野直也「張家三代の興亡」)

1905年、日露戦争で日本軍はロシア軍を追って奉天に迫りつつあった。この時に張作霖は清国軍の大隊長で、匪賊は官の肩書があると物資を徴発しやすいので軍隊から誘われれば応じる。官としては討伐するより安上がりだから双方の利益は一致するのである。

張作霖はロシア軍に雇われて兵站を担当し、せっせとルーブル金貨を稼いでいたが、日本軍に逮捕された。通敵の罪で銃殺刑になるところだったが、彼が200頭の騎馬隊をもっていることを知った日本軍将校が、この騎馬隊を奉天戦後の騎兵隊不足に充てようと助命に努めたのだ。「今後、日本軍のために働き罪を償うのなら総参謀長に助命をとりなしてやるが」と言うと、張作霖は土下座して床に叩頭し「日本軍のために働きます」と誓った。

<命を助けられた張作霖はその後も日本軍に篤く保護されるのだが、忘恩は中国人の性癖である。いつしか反日行為を重ねていく男に変化していくことになる。

張作霖は日露戦争後の1917年頃、実体のない北京の中央政府と絶縁し、満洲の自治を宣言して独立する。息子の張学良は陸軍少将になった。1928年には自分で自分を陸海軍大元帥に任命し、北京で盛大な就任式を挙行した。彼が爆死する3か月前のことである>(同)(2013/10/29)
・・・
注)三国干渉:1895年、日清戦争の結果、勝利した日本は下関条約により遼東半島を領有することになったが、露独仏が東洋艦隊の武力を背景に清国への還付を勧告した事件。この圧力に日本は屈服し、他日を期した。 
<「頂門の一針」から転載>
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