2013年11月10日

◆歴史的観点からの嫌韓有理

池田 元彦


韓国の謂れなき日本誹謗は度を越している。米国を介しての同盟連携国の最低限の外交プロトコールや儀礼の無視のみならず、「DiscountJapan(日本を貶める)」を国家の主要政策として、諸外国に根拠のない日本バッシングを繰返す、どうしようもない反日国家だ。

一流新聞が天皇を日王と表記し、国会議員が議場で日本人を倭奴(ウェノム)と発言する国民性は、幼い頃からの歴史を捻じ曲げた反日教育だけの所為ではない。歴史的にも、日和見、虚言癖、言い逃れ、或は激昂し易い朝鮮人特有の「火病」持ちの所産でもある。

朝鮮人は必ず「文化・文明の殆どを無知蒙昧の倭奴に教えてやった。」と本気で虚偽主張をする。高麗王朝17代王仁宗の命を受け1145年に編纂された高麗国正史「三国史記」、及び1280年代完成の「三国遺事」は共に朝鮮最古の史書だが、朝鮮人の嘘を簡単に暴く。

三国史記新羅本記は「第4代王昔脱解は倭の東北千里から来訪し、その大輔=総理大臣は倭人瓠公」とする。系図では第16代迄は脱解直系子孫、第17代以降も傍系子孫だ。初代朴赫居世も倭人と推定する説もある。高麗、李氏朝鮮の本家新羅は、倭人系国家だった。

後漢書韓伝は「馬韓、弁辰は南に倭と接する」、魏志倭人伝は「馬韓を経て(陸行すると)倭の北岸狗邪韓国に到り」と書く。朝鮮半島南西部には倭人の国が確実に存在していた。

宋書は、倭王武の順帝宛上表文の「海を渡って平らげること95ヶ国」を認め、順帝から「武を使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事、安東大将軍、倭王に叙した」とする。倭の管轄下に朝鮮半島諸国があることを宋順帝は公式に認証している。

広開土王碑文には「391年、倭が百済と新羅を破り臣民とした。」とある。鉄の産地は主に新羅地域だが、隋書は「倭人が鉄を採掘している、という『韓伝』の転載」記事が有る。3世紀の半島は鋳鉄刀剣が主流だったが、倭では鋳造製が主流だった。

稲作の半島経由はなく、中国から北九州へ伝播したことはDNAからも実証されている。金官加羅等の前方後円墳は5、6世紀造成で日本からの伝播を示す。随書は「新羅も百済も、優れた物品が多い?国=日本を大国と見做し、敬仰し使節が常に往来している」とする。

新羅本記は、紀元前50年から364年の400年間に、12回もの倭の侵攻があったと記す。

古代に於いて、人質は常に倭国が取り、差出すのは常に百済、新羅であったことは否定できない。古代、文明、文化の何を朝鮮半島が倭にもたらし、倭に教えてくれたのか。

日本の勢力は隆盛で、752年の奈良大仏開眼供養には、アジア各国からの参列者があった。導師はインド出身の僧菩提僊那で、従者には胡人も混じり、日本、唐、高麗の楽舞が大仏に奉納された。1万数千人との参列者は、正倉院文書に名簿が有り、決して誇張ではない。

仏教が百済から正式に伝えられたとするが、日本には当時70足らずの国分寺、国分尼寺が建立されていた。問題は文化・文明の発祥か、それを引継ぎ興隆させたかであるが、単に伝達通路であることだけを自慢するのは、寧ろ恥ずかしいことではないか。

正倉院には、天皇家の貴重な品物、文書が保管されている。世界各国の博物館に保存されている華美な金銀宝飾製品は少ない。1250年間守り伝える国民性に新たな感銘を覚える。(投書)

<「頂門の一針」から転載>
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