2013年11月14日

◆「大村益次郎」暗殺の件(3)

平井 修一


大村益次郎が官軍の事実上の最高司令官として京都から江戸に入ったのは明治元年5月初頭である。それまでは西郷隆盛が参謀として指揮していたのだが、幕臣の勝海舟らとの取り決めで江戸の治安回復は官軍に恭順した徳川家臣団に任せていた。

ところが治安は回復するどころか悪化する一方でありながら、西郷は信義に篤いし情にもろいから“融和政策”を変えない。京都の大総督府(有栖川宮熾仁=ありすがわのみやたるひと親王)では「西郷は勝に籠絡されたのではないか」などという声が高まり、西郷は上京を促されて江戸を留守にしていた。

つまり西郷に代わって大村が長州藩士を率いて、全員が薩摩藩士だった江戸の参謀局に乗り込んできたのである。ひと騒動は避けられない。

5月初旬、前触れもなく大村が長州藩士を引き連れて参謀局に現れ、まともな挨拶もなしに海江田らにこう指示した。

「君が参謀局の長か。この頃の庄内地方の紛擾はますます激しくなってきた。宇都宮の官軍を庄内に派遣しなくてはならないから速やかにその準備を整えるように」

愛想も何もない。薩摩藩の海江田はペリー来航以前から国事に携わっている志士であり、長州藩においても新人の大村をまったく知らないから“何だこいつは”とカチンときた。当たり前だ。

「あの・・・あなたはどなたですか」

「う・・・私は軍務官判事の大村益次郎だ。京都で朝廷から軍務の委任を受けて江戸に来た」

「・・・そうですか」

普通なら「そういうことか、この人が俺の上司なのか」と思うのだが、突如現れた大村が「朝廷」の威厳で「よろしく」という挨拶もなしに命令すれば、海江田でなくても“何だこいつは”とは思うだろう。

西郷が江戸を留守にしていて賊軍掃討作戦の総責任者だった海江田は反論した。

「お言葉ですが・・・宇都宮の官軍は連戦で死傷も少なくなく、疲弊しています。これを庄内に転戦させるというのは得策ではないでしょう。むしろ白河に派遣して仙台の応援を断ち、会津を攻撃させた方がいいと思いますが」

大村は幕府の第二次長州征伐を撥ね返し、西日本から賊軍を平らげてきた自分の作戦指揮に自信をもっていたから、この反論に当然ながらムッとした。

「君は、宇都宮の官軍はすでに戦に疲れて使えないというのか」

海江田は「疲弊していても軍令が下れば粉骨砕身も辞さないでしょう
が・・・」とこう続けた。

「今もし白河と会津の危急をさておいて宇都宮軍を庄内に転戦させるのなら、それよりもむしろ江戸に召還したほうがいい。今の江戸の実況はあなたはまだ詳しく知らないかもしれないが、干戈も兵火もなく江戸城の授受を終えたとはいえ、いつ火がつくか分かったものではありません。

庄内地方の戦略は現地に任せ、援助の要請が来たら応ずることにしたらいい。庄内では伊地知正治など軍事に熟練した者がいますから、失敗はまずないでしょう」

大村にこれだけ反論した者はいなかったからカッとした。

「君は何を言っている、白河は大したことはないし、仙台の弱兵を恐れる必要なんかない。私は朝廷の委任を受けてきたのだから、他人の指揮に従う必要はない。君は私の命令を実行すればいいのだ」

高飛車な嫌な野郎だと海江田も当然思うから、“売り言葉に買い言葉”になっていく。

「驚くべきことを言いますね。たとえあなたが朝廷の委任を受けていても、私も参謀官の一人として軍事の得失を考えているのであり、あなたの専決に任せるというものではありません。たとえあなたが宇都宮軍を庄内に送るといっても、私は必ずこれを阻止します」

事実上の官軍の最高司令官に正面から逆らうのだから海江田も相当頑固である。互いに非難し、もはや喧嘩腰になった。お互いが方言で言い合うのだから迫力はかなりのものだったろう。参謀局の空気が一気に緊張した。

大村「わっちは朝廷の委任を受けてきたのじゃけ、わっちはのんたのへーたらこーたらに従う必要はなか。なんバカんこといっとん、のんたはわっちの命令を実行すればよか。じらあくいあげるいのお」

海江田「何ゆとう。たとえおはんが宇都宮軍を庄内に送るちゅうても、おいは必ず阻止しもんで。何も知らんくせに、なむうなよ」

理工系の合理的な大村、体育会系の血盟重視の海江田。大村はウエットではなく人間の感情にあまり斟酌しないだろうが、喜怒哀楽の感情に富んでいる熱血漢、薩摩隼人の海江田は最初の出会いで大村を大嫌いになった。まことに不幸な出会いだった。

「結局、大村の案は参謀局の採用にならず沙汰止みになった」と海江田は言っている。

大村と海江田の不幸な出会いから始まった齟齬は拡大していく。

初対面での衝突から数日後、宇都宮の官軍から至急に大砲が必要だと依頼が来た。海江田は臼砲を幾門か送り出したが、翌日に大村がこれを聞き、「君は昨日、宇都宮軍に臼砲を送ったそうだが、私に報告せずに勝手に軍事を決済することは越権だ。控えたらどうか」と海江田を難じた。

畏れ入る海江田ではない。反論した。

「確かに臼砲を送りましたが、みだりに専断で処理したいわけではない。あなたが席にいたら必ず相談するが、ことは緊急を要した。一瞬でも遅速は許されず、間髪をいれずに処理しなければならなかった。至急の要件でなければ今日にでもあなたと相談するが、そんな暇はなかったのです。昨日あなたが席にいなかったのは私にとって残念でした。

大砲が一日でも遅れれば官軍は機を失って負けるかもしれない。もしあなたが昨日、席にいたなら大砲を送らなかったと言うのですか」

「いや・・・」

「それならば専断だなどとあえて私を責めることはないでしょう」

こんな風にまた互いを非難して喧嘩になるところだった。

その後また宇都宮軍から「白河口はすでに賊兵に侵奪された。速やかに援軍を送ってくれ。戦況を回復しないと賊兵は制し難くなる。宇都宮軍は参謀局の命令を待たずに直ちに白河に向かう」と急報があった。

続報によれば宇都宮軍は白河口の戦いに参戦し、敵はすこぶる勢いがあり苦戦を強いられ死傷も多かったが、奮戦してどうにか戦況を回復した。海江田が急送した臼砲が役立ったのだろう。(2013/11/12)

<「頂門の一針」から転載>
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