2013年11月24日

◆国を守る気概がなければ

加瀬 英明
    

テレビを観ていたら、今年は学徒出陣の70周年に当たるが、出征した学生の記録が各大学にないために、いくつかの大学で職員が事務室で調べているところが、放映された。

私は学徒出陣を称える風潮を、好まない、大学生は開戦から1年11ヶ月後に戦況が不利になると、昭和18年10月にようやく徴兵猶予が解かれて、入営した。

だが、イギリス、ドイツ、アメリカなどの諸国では、大学生は開戦とともに真先きに入隊して、前線に赴いている。

なぜ、大学生は悼まれるのに、庶民兵は軽く見られるのだろうか。庶民が出征する時には、神宮外苑の観客席を埋めた女子学生が歓呼して見送り、首相が親しく激励することがなかった。今でも日本を蝕んでいる学歴崇拝の心理が、働いているのだろう。

私は学徒兵の名誉を傷つけるつもりはない。ある学徒兵の遺書から、引用したい。

「私ノ肉体ハココデ朽ツルトモ私達ノ後ヲ私達ノ屍(しかばね)ヲノリコエテ私達ノ礎(いしずゑ)トシテ立チ上ツテクル第二ノ国民ノコトヲ思ヘバ又之(これ)等ノ人々ノ中ニ私達ノ熱キ血潮ガウケツガレテヰルト思ヘバ決シテ私達ノ死モナゲクニハアタラナイト思ヒマス」(茶谷武(たけし)・昭和20年ルソン島において二十四歳で戦死。『続・いのちささげて―戦中学徒・遺詠遺文抄』国文研蔵書叢書20)

いったい敗戦後68年たって、この学徒兵の「熱き血潮」を受け継いだ国民が、いるものだろうか。

今日でも、国を守る必要があることは、変わりがない。だが、国民に国を守る気概がなければ、日本を外敵から守ることはできない。

しばらく前に、私はイギリスのオクスフォード大学を訪れたことがあった。学生食堂の壁に大きな銅板があって、第1次、第2次世界大戦で戦死した学生全員の名が刻まれて、そのうえにただ「CARRY ON」(あとに続け)と、書かれていた。

一国の独立は国を守る決意があって、はじめて可能になる。

アメリカの占領下で警察予備隊が誕生し、独立を回復した年に、保安隊と改称された。当時の新聞記事によると、予備隊のころから部隊が駐屯地がある地方都市や、町の大通りを行進すると、住民が沿道に並んで、日の丸の小旗を振って、歓呼したものだった。

演習に出かけると、旧軍と同じように農家の主婦たちが机を並べて、口々に「兵隊さん、ご苦労さま」と声をかけて、茶を汲んだ。

独立を回復すると、衆参両院が全会一致で法改正を行い、戦犯として法務死した人々も戦死者として、遺族年金を支給することになった。また、戦犯として刑期をつとめていた人々の、即時釈放を求める決議を行った。

2年後に、保安隊が自衛隊に改編された。戦車隊が銀座大通りを都民が人垣をつくって、歓呼するなかを行進している写真がある。まだあのころの日本国民は、国防意識が高かった。

その後、国防に対する関心が、年を追って衰えていった。これは、けつして“平和呆け”によるものではない。ソ連が解体するまでは、米ソ冷戦下で高い緊張が続いていた。しかし、日本国民がアメリカによって守られることに、すっかり馴れてしまううちに、“保護呆け”を患うようになった。

いま、中国の脅威が募る一方、アメリカが力を衰えさせつつある。

<「頂門の一針」から転載>
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