2013年11月25日

◆大東亜会議70周年記念日

池田 元彦


1943(昭和18)年11月5日有色人種による世界で初の大会「大東亜会議」が東京で開催された。日本は主催国、それに中華民国(南京:汪兆銘)、満洲国(張景恵)、フィリピン(ホセ・ラウレル)、ビルマ(バー・モウ)、タイ(ワイワイタヤコーン)が参加した。 

インド仮政府は、陪席参加した。1943年と言えば、開戦後6ヶ月の華々しい戦果に陰りが出始め、ミッドウエー敗北、山本五十六戦死、アッツ島全滅等戦況見通しが厳しく、タイ首相は病気理由で参加せず、日本の現地政策を批判する国もあったことも確かだ。

しかし、一旦会議が始まれば、欧米白人からの圧政、虐待からの独立の光と勇気を与えてくれたのは、間違いなく日露戦争を勝利した日本であることを再確認、共通認識し、昭和天皇拝謁の機会を得た参加各国首脳は感激で高揚し、独立の希望を改めて日本に託した。

翌6日に「大東亜共同宣言」が発表された。英米の侵略搾取、東亜隷属化が大東亜戦争の原因であり、大東亜各国は相提携して大東亜戦争を完遂し、英米の桎梏から解放、自尊自衛を全うするため、共同して?共存共栄、?独立親和、?伝統民族文化の昂揚、?経済繁栄、そして?人種差別撤廃と世界の進運に貢献することを高らかに宣言したのである。

教科書等では、この2年前のチャーチル・FDRの大西洋憲章を評価するが、勘違いも甚だしい。?英米は領土拡大の意図なし、?領土変更・政治形態は人民の意思・権利を尊重等8項目の宣言は、単に英米2ヶ国による欧州諸国への対ドイツ保証・約束に過ぎない。

欧米の植民地支配否定、人種平等実現、東亜諸国独立を掲げたのが大東亜共同宣言だ。人種差別も植民地も放棄する意思もない欧米は、彼らの既得権益の壊滅を狙う日本を許容出来ない有色人種の敵国として、大東亜戦争以前から日本壊滅を狙っていたことは確かだ。

敗戦したが、英米を相手に日本が国運を賭して戦ったことは、アジア諸国の指導者に強い感銘を与えた。1955年反帝国・反植民地・民族自決を掲げる非白人種29ヶ国参加の国際会議がバンドンで開催された。敗戦後10年足らずの日本も招待され、大歓迎を受けた。 
 
「日本の大東亜戦争の犠牲がなければ、我々は今も英仏欄の植民地のままだった」と。

マレーシアのマハティール首相は「もし日本が居なければ、世界は全く違う様相を示していたであろう。(中略)欧州諸国は、永遠に世界を支配したことだろう。」と後日発言した。

日本敗戦後、英仏欄は植民地に舞い戻って来た。が目覚めた大東亜諸国は徹底抗戦した。

インパール作戦に日本軍と共に参戦したインド国民軍将兵4千名を反逆罪で英国が裁判に掛けたため暴動が勃発、これを契機として1947年インドは英国から晴れて独立を果たした。

ビルマは1948年英国から独立。「真の解放者は東条英機大将と大日本帝国だ」とバー・モウは著書に記す。インドネシアは日本敗戦直後に独立宣言をした。日付は「05年8月17日」とある。

「05年」は「皇紀2605年」の下2桁だ。が、オランダの執拗な植民地化侵略が続き、1949年11億ドルの債務負担をインドネシアが支払うことで漸く独立を果たした。

日本との戦争もしていない韓国や北朝鮮が戦後賠償金を要求するとは、朴大統領の欧米への反日行脚と共にこの国の異常性を物語る。支那と半島を除けばアジア諸国は親日なのだ。 

<「頂門の一針」から転載>
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