2013年12月13日

◆消えた「殉死」

平井 修一


昔から小生は本は何回か読まないと記憶に残らない。一度読めば大体は記憶できるという人から見れば暗愚に見えるだろう。

知人に2ケタ台の「九九」、つまり99×99まで記憶している人がおり、家庭生活では実に愚かしかったが、仕事では実に頭が切れていた。

それに比べると小生の記憶容量ははるかに小さく、必要な情報をぱっと取り出せずに困惑することが多い。小生自身も気が短いから、そんな自分にいらいらしたり、情けないとか不甲斐ないとか思うことがしばしばある。

読んだ本を次から次へと忘れていく小生が変わっているのか、それとも皆そんなものなのか。損得で言えば、同じ本を何回読んでも楽しめるのだから得と言えば得である。しかし、記憶(データベース)を蓄積していく効率が悪すぎる。人生ゲームの時間、つまり寿命は限られているのだから効率を上げなければならない。

森鴎外の『阿部一族』を15年ぶりに再読したが、やはり記憶は見事なほどに吹っ飛んでいた。そのお陰で楽しめたのだから、いいと言えばいいが、何か遠回りをしている印象である。

カフカの「城」のように核心にちっとも近づけないもどかしさ、焦りを感じる。老いると気が短くなるのか、それは残された時間が少ないからなのか・・・

『阿部一族』は江戸時代初期の寛永18年(1641年)、肥後藩主・細川忠利(ただとし)の死に際して19人の家臣が殉死(じゅんし)した事件と、それに続いて重職にあった阿部一族が上意討ちにより全滅した事件を題材とし、大正2年(1913年)1月に発表された。

肥後熊本の細川政権は、寛永9年(1632年)の忠利の入国によって始まる。忠利の母は明智光秀の娘・玉子(ガラシャ)で、玉子がキリスト教の洗礼を受けさせたというが、忠利にはその影響は全く感じられない。

殉死はキリスト教が罪とする自死であり、忠利がキリスト教徒なら殉死を禁じただろうが、その形跡はない。

忠利は「武の時代から幕藩体制に移りつつあった新しい時代に、細川家を大大名家として保つのに成功した名君」との評価があり、晩年の宮本武蔵を招き客人として遇したことや、水前寺(成趣園)の創建などでも知られている。

鴎外は小倉の第12師団軍医部長時代と、陸軍省医務局長時代の2回、熊本を視察しており、栖本又七郎(すもと、作中では「柄本又七郎」)などの証言を元にした『阿部茶事談』に接したようだ。

これを下敷きにした『阿部一族』は、明治天皇崩御後の乃木希典(まれすけ)陸軍大将の殉死(大正1:1912年9月)に刺激されて書かれたと言われる。

殉死とは、主君などの死を追って臣下などが死ぬことで、殉死のうえで葬ることを殉葬(じゅんそう)という。古代エジプトやメソポタミア、古代中国、古代朝鮮半島、日本などにおいては殉葬が行われた。

中世以降の武家社会においては妻子や家臣、従者などが主君の死を追うことが美徳とされ、それを忠臣の証と考える風習ができ、世間から讃えられるほどになった。

遂には近習、特に主君の寵童出身者、重臣でありながら殉死をしないものは不忠者、臆病者とまで言われ、殉死は一種のブームになった。忠利の時代も“殉死ブーム”だった。

徳川幕府は寛文3年5月(1663年)諸大名に殉死を禁ずるよう命令し、天和3年(1683年)には末期養子禁止の緩和とともに殉死の禁は武家諸法度に組み込まれ、本格的な禁令がなされた。

乃木希典を描いた司馬遼太郎の『殉死』は有名だ。「乃木の思想と行動は、司馬遼太郎にとって生涯最大の憎悪の対象であった昭和の日本陸軍そのものであり、乃木はそれが人格化されたシンボルであった」(「明治維新 歴史浪漫」)。

司馬は乃木大将をくそみそに貶めているが、福田恒存あたりからは「それは違うんじゃないか」と反論が寄せられ、物議を醸している。

司馬は「好きか嫌いか」の感情・感性で判断する女性的な「木を見る」「虫の目」視線、福田は「事実はどうであったのか」の理性で本質・事実に迫る男性的な「森を見る」「鳥の目」視線である。鴎外も福田のように学究肌だったろう、できるだけ好悪を交えずに、史実に基づこうという姿勢である。

いろいろ調べてみたが、わが国では乃木大将以降の100年間で殉死は見られない。君臣関係がまったくなくなったのだから殉死はあり得ないわけだ。

せめて社長が死んだら社員が「後追い自殺」をしてもよさそうなものだが、誰ひとりとしてしないのは両者の間はただの雇用関係で、社長自身も「城を枕に討死」なんて夢にも思わないからだ。

年功序列、終身雇用の“日本的経営”、官民歩調を合わせた護送船団方式の“日本株式会社”も年々影をひそめている。君主のようなカリスマ経営者も、忠臣のような従業員もずいぶんと少なくなっているだろう。

話題になる経営者の多くはカリスマ“的”経営者で、銭の匂いはしても畏敬の対象にはなり得ない。乃木大将は神格化された最後の人で、彼をもって殉死も終わったのである。小生も凡夫なりに人生の締めくくり方を考えておかなければならない。(2013/06/17)

    <「頂門の一針」から転載}
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