渡部 亮次郎
「未曾有」で始まった、かつて麻生「首相」の漢字誤読は長崎原爆忌での「しょうせき」(傷跡)で終止符を打った。直後、自分で打った「解散」の結果「首相」でなくなって、いくら誤読しても誰も振り向かなくなったからである。
しかし世間には誤読のタネはいくらでもある。直後、海外在住の評論家女史から配信されたメルマガに「日本を『せき巻き』している」という文章があった。
前後の関係から、あきらかに席巻(せっけん)の読み方を知らずに年老いたものと知れた。何冊も著書が有り、新聞にも時折、評論を寄稿している有名人でも、おそらく中学時代に席巻を習わず、評論を書くようになってから使うようになったための誤読かと同情した。
そうかと思うと、教育関係のある会合に出たら、最近、歴史教科書の版元になって名を挙げた評論家が「先生、なぜこういう子供を『いくむ』ようになったのでしょうか」と下問。
聞かれた某国立大学の副学長女史、暫く考えて「いくむ」が育(はぐく)むと分かって、すらりと答弁。評論家は「はぐくむ」と勉強しなおすチャンスをまた失った。
田中角栄は学歴の無い首相だったが、この種の誤読は一切無かった首相でもあった。尋常小学校の漢字教育が徹底していたからではない。若くして世に出て、徒手空拳、使うべき文字は自分で納得のいくまで自分で叩き込んだためである。
外国の大学に2つも入った麻生太郎は、小中学校で漢字教育を十分うけずとも高校、大学を通過できる「環境」にあったから、漢字使用に伴うある種の痛痒を感じないまま過ぎてしまった。経営者としても国会議員としても先祖の七光りがあって、政治家の頂点に立ってしまった。
かくて首相として活動してみたら、漢字を十分使えない器である事を暴露、人気ガタ落ちになってしまった。政界にはこれからまだまだ2世3世が登場してくる。彼らは日教組の「ゆとり教育」を受けて育っている。漢字教育も「ゆとり」だろうから、第2、第3の麻生が間違いなく出現する。
すべからく、漢字教育は脳みその柔らかな義務教育の間に徹底的に教え込まないと、我々は天にツバする如く政治家の演説にのけぞり続ける事になる。(文中敬称略)