2013年12月16日

◆趙明禄亡き後の軍実力者は誰か

古澤 襄


ワシントン・ポストの外交専門記者だったドン・オーバードファーが4年間の歳月をかけた「二つのコリア」は、今日でも朝鮮半島現代史を読み解くうえで、最高の傑作だと思っている。

この本に触発されて北朝鮮軍部の情報・資料を集めて10年以上の歳月が経つ。情報鎖国の北朝鮮でとくに軍部の動静は外部に漏れてこない。それでも長い歳月の間にいくつかの傍証・確証が出ている。

それを組み立てながら、時には軍内部の確執が表面化するので私なりの見解を杜父魚文庫ブログに書いてきた。

北朝鮮情報では韓国の元KCIA情報が玉石混淆のきらいがあるものの優れていた。KCIA情報は脱北してきた北朝鮮軍の将校から聞き出したダイレクト情報。ヒューマン情報の最たるものであろう。

また日本の公安情報も朝鮮総連のヒューマン情報に依拠するが重要であった。金日成時代には資金面で悩む本国に送金する朝鮮総連の存在は重要であった。

KCIAは改組され、また朝鮮総連もかつての様な北朝鮮本国との繋がりが希薄となっているので情報価値が低くなったが、それでも過去の蓄積があるので無視はできない。

先軍政治を領導した金正日国防委員長時代のナンバー2は趙明禄第1副委員長であるのは論を俟たない。対外的には金永南最高人民会議常任委員会委員長がナンバー2とされてきたが、実権のない”お飾り”に過ぎない。

この趙明禄は金日成の抗日パルチザン部隊に少年兵として参加した革命第一世代で、金正日の生母である金正淑に近かったので金日成の後継者として金正日を強く推し、金正日の後見人として発言力を増した。

2009年の杜父魚文庫ブログで最高権力機関の国防委員会のトップは金正日委員長、ナンバー2は趙明禄、その下に金永春、李勇武、呉克烈の3人の副委員長をあげた。

しかし趙明禄は2010年11月6日に心臓病で死去、国葬で葬儀委員長に金正日自ら就任し、葬儀委員が100名を越える異例の扱いを受けている。

北朝鮮軍を束ねていた趙明禄の死去によって2つの流れが表面化した。この傾向は趙明禄が病床の頃から顕在化している。

ひとつは軍内部の冒険主義的な強硬派の台頭。金格植総参謀長は2009年2月に西海(黄海)北方限界線(NLL)を管轄する第4軍団の司令官に降格されるたが、11月に大青海戦、2010年3月に哨戒艦「天安」爆沈事件、11月に延坪島砲撃事件を起こした。

延坪島砲撃の後、金格植は総政治局の指導検閲で「南朝鮮(韓国)の反撃にきちんと対応できなかった」と批判され、辺仁善上将(大将の下の階級)と交代している。

もうひとつは改革・開放政策を掲げた張成沢の台頭である。

この張成沢台頭をめぐって、張成沢と呉克烈国防委員会副委員長の間で外資の誘致をめぐり深刻な葛藤が生じていたことを指摘したい。

張成沢VS呉克烈の構図は次の様なものである。軍部を基盤に外資誘致をしてきた呉克烈に一歩遅れて張成沢と金養建党統一戦線部長が主導権争い演じている。

呉克烈は外資誘致専門機構として朝鮮国際商会(総裁・高貴子)を設立、張成沢側は朝鮮大豊(デプン)グループを設立、金養建を理事長に、中国朝鮮族出身の朴哲洙を総裁に任命した。

呉克烈は張成沢を憎悪し、大豊グループ・朴哲洙総裁の背後には中国国家安全省があり、中国が朴総裁と朝鮮大豊グループを通して大規模資本を投入し、北朝鮮経済の掌握を狙っていると非難した。

呉克烈の系列に属する金永春らが張成沢追い落としに一役買った可能性が捨て切れない。世上、金正恩第1書記に次ぐ軍の実力者となったのは崔竜海軍総政治局長といわれるが、崔竜海はもともと張成沢系列である。

それだけに張成沢の権力システムを熟知しているから、張成沢にしてみれば「飼い犬に手を噛まれた」思いがあったろう。

さて表面に出てこない呉克烈、金永春ら長老組の役割と今後はどうなのか。呉克烈には外資誘致を巡る噂があるから、第二の粛正劇が待ち受けているのかもしれない。

しかし呉克烈は旧ソ連の空軍大学を首席で卒業、朝鮮人民軍の航空司令官や総参謀長を務めた、典型的な現場型の軍人だ。

呉克烈をよく知る人民軍出身の脱北者は「呉氏は非常に頭が良く、実行力もあるため、野戦部隊の軍人たちから尊敬されている人物だ」と言う。あえて金正恩が呉克烈まで斬るにはかなりのリスクが伴う。

いずれにしても趙明禄亡き後の軍を束ねる実力者の顔がまだ見えない。
2013.12.15

<「頂門の一針」から転載>
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