岩見 隆夫
新年号から冴えない話と思われるかもしれないが、この国、実際にどこに 漂流していくのか、深刻に気をもんでいる人が意外に多いのである。言論 界の様子をみていると、
〈日本の崩壊〉
という言葉が頻繁に登場してくる。有識者や学者がそう予見しているから で、国が崩壊するとは具体的にどういうことなのだろうか。そんな空気に 影響されてか、暮れの党首討論では、安倍晋三首相の口から、
「日本を取り戻そう!」
という言葉が出てきた。首相の潜在意識のなかに一種の欠落感があること が読み取れる。何からの欠落かが重要で、取り戻したいのが、かつての日 本の〈よい部分〉を指しているなら、その〈よい〉のが何かを見極めるの がさらに重要だと思われる。一国のトップが、ただ、漠然と取り戻そうで は無責任で話にならない。
日本が簡単に崩壊するほど脆弱(ぜいじやく)な国家とは、私はまったく 見ていない。たくましさを十分備えている。ただ、世間の思考動向もまこ とに千差万別で、心もとなく、危なっかしい。
さて、時代はめぐり、21世紀も7分の1を過ぎようとしているが、いよい よ本格的な転換期にさしかかったと言ってよい。どういう種類の転換か は、人により、立場により違ってくるが、1年あまり前、首相の座に就い た時、安倍晋三首相の立場は明快だった。憲法9条改正を安倍政治の中心 に据えたからである。
それ以前の歴代自民党政権は、9条問題に関心がほとんどないに等しかっ た。あとの3代民主党政権は9条を忘れていたか、避けていたも同然だった。
しかし、安倍さんは明らかに違っていた。首相の適齢としては若い58歳の 熟年指導者の心のなかで、何かがバシッとはじけたな、と私はそのとき直 感的に思った。もしそうだとするなら、画期的なことである。
先の衆院選、首相就任前の演説でも次の決意を述べている。
「自民党が政権公約において、憲法の9条改正によって自衛隊を『国防 軍』と位置付けるとしたのも、不毛な論争に決着をつけて、歴史の針を進 めるために他なりません。
自国の民を守るために戦わない国民のために、代わりに戦ってくれる国は 世界中のどこにもありません。
日本が抱える課題を列挙してみると、拉致問題のみならず、領土問題、日 米関係、あるいはTPP(環太平洋パートナーシップ協定)のような経済 問題でさえ、その根っこはひとつのように思えます。
すなわち、日本国民の生命、財産および日本の領土は、日本国に政府が自 らの手で守るという明確な意思のないまま、問題を先送りにし、経済的豊 かさを享受してきたツケではないでしょうか。
まさに『戦後レジームからの脱却』が日本にとって最大のテーマであるこ とは、私が前回総理を務めていた五年前と何も変わっていないのです」
◇燃えたぎる心の血が事態を先に進める
憲法9条改正は日本の最大のテーマ、の再確認である。
世間や、自民党内では中曽根康弘元首相ら9条改憲派の期待が一気にふくらみ、それに向けた法案整備などの動きにも拍車がかかった。しかし、こ の一年の安倍政権の足跡をたどってみると、日本最大のテーマとした9条 改正論の推進力がトーンダウンした。安倍さんの心境に変化があったかど うかは判然としないが、
「政権の人気維持のために、一時的にアベノミクスに重点を移したのは仕 方ない」
という見方が大勢だった。私もそれが間違っているというわけではない。 だが、首相とは一体、何をするためにあるのだろうか。9条改正とアベノ ミクスの取り組みに優先順位をつけるために座っているのだろうか。違う と思う。アベノミクスは最緊急課題であり、9条改正は第一次安倍内閣の 時からの日本最大テーマに変わりはない。しかし、世間は、
「憲法で飯は食えないぞ」
と悲鳴をあげる。これには反論しにくいが、日本最大のテーマをとりあえ ず横において各論から始めるのが政治の本道か。
いま、国民の憲法意識は、9条改正確信派2割、改正阻止派2割、煮つめ て考えてこなかった派が6割と私は見ている。国民に「考えてもらう」の が先決だ。せめて「考えてもらう」比率を7割ぐらいまで広げないと話に ならない。
このカギを握るのは、国民世論とのエネルギッシュな対話を通じ、議論を 深めることしかない。
9条改正の動きに警鐘を鳴らし、改憲の企てを阻むため一人一人の努力を 呼びかけた「九条の会」が民間にできたのは、およそ10年前の2004年6月 である。日本を代表する9条護憲派の井上ひさし、梅原猛、奥平康弘、小 田実、加藤周一、澤地久枝、鶴見俊輔、三木睦子と代表世話人のノーベル 文学賞受賞の作家、大江健三郎の計9人が代表に名を連ねた。
「九条の会」は翌年7月、東京・有明コロシアムの大会場で講演会を開い た。トップの三木さんの、
「今年88歳のおばあさんでございまして……」
で始まる講演は短いものだったが、深い感動を残した。世界の平和とは何 か、をトツトツと静かに語り印象的だった。一方で、
「これは何とかせねばならないと、燃えたぎる心の中の血を、それこそ文 字どおり燃え立たせているわけでもございます」
と語り、演題にも「血を燃え立たせてやってきた」とあった。
以来10年近く、「燃えたぎる心の中の血」こそが、事態を先に進めると私 は信じてきた。改憲推進派がそれを備えているだろうか。擁護派はこの10 年に三木、加藤、小田、井上を亡くしている。全国で3000を超える支部が 立ち上がっているが、「たぎる血」がどれほど燃え立っているか。
2014年初頭、安倍首相は「九条の会」の大江健三郎代表世話人と是が非で も公開討論会を開き、国民の目の前で、耳に聞こえるところで、「たぎる 血」のほどを語り合うべきである。詳細は次号で。
<今週のひと言>
今年、ミカンがうまい。
サンデー時評:2013年12月25日
(いわみ・たかお=毎日新聞客員編集委員)
(サンデー毎日2014年1月5-12日新春合併号)