羽成 哲郎
父祖たちは戦争をどんな思いでとらえていたのか?
安倍晋三首相が靖国神社に参拝した平成25年が終わり、26年が明けた。「戦後70年」となる27年を前に、今年は国際情勢、国内政治ともに歴史認識をめぐる動きがカギとなりそうだ。そんな中で地方からこの問題を考えてみた。
25年8月から9月にかけて千葉県山武市の歴史民俗資料館で開かれた「忘れられた戦跡展」を企画した学芸員の稲見英輔氏はこう言っていた。
「戦後70年の企画展も開こうと考えています。地域の方に戦争に関する物や情報などを提供してほしいんです。今、集めないと間に合わない」
準備が間に合わないという意味ではない。戦後70年たてば、そのころ10代だった人でも80代となっている。実体験としての戦争を語り継ぐのが年々困難になっている状況を指している。
それでも歴史を記録することに使命感をもって臨んでいる人がいる。山武市に住む真行寺重昭さん(46)は自宅近くの山林に海軍戦闘機「雷電」が20年6月23日に墜落した場所を特定しようと証言を集め、現場を歩いた。
会社勤めをしながらの地道な作業は20年近くに及んだが、その結果が先の戦跡展で展示されていた。最近は、同じ20年の2月16日にやはり近くの東金市に零戦が墜落した現場を探しているという。
この前後数日は、米軍の空母艦載機が関東地方の航空基地や航空機を集中的に攻撃した。3月10日の東京大空襲はこうして日本の防空能力をたたいた後に行われている。
歴史は本来、こうした小さな事実の積み重ねとともに語られるべきものではないのか。真行寺さんは戦跡展の後、長野県に住む男性から父親が戦争中に千葉・九十九里の陸軍部隊にいたので、その詳細を調べてほしいと頼まれた。
特攻隊員だった祖父の足跡をたどる小説「永遠の0」を地でいくような依頼だが、自らの戦争体験を語らないまま亡くなってしまった肉親とその思いを知りたい家族の姿が見えるようだ。
戦争中に千葉県館山市にあった「館山海軍砲術学校」は「知る人ぞ知る」という教育訓練機関だが、資料がほとんど残されていない。それでも在籍した軍人の遺族とみられる人から海上自衛隊館山航空基地に時折、問い合わせがあるという。
中国、韓国が「正しい歴史認識」を求めて声高に叫ぶ姿に、難しいとして遠ざけたい気持ちがわくかもしれない。しかし、自分の父祖たちは戦争をどんな思いでとらえていたのか、問い直したいという願望も押さえきれない。そのギャップをどう収めたらいいのか。真行寺さんはこういう。
「いきなり国家のことを言われても大きすぎて困ってしまうかもしれませんが、個人の足跡をたどるように調べるのは理解しやすいかもしれません」
自らも含めて地方での取り組みがネットワークのように広がれば、歴史認識をめぐる動きに一石を投じることができるのではないかと考えている。
安倍首相の靖国神社参拝に対して産経新聞以外のメディアは外交面でのマイナスばかりを批判しているが、戦没者の慰霊という点をことさら無視している。どうしてこうなってしまうのか。
政治が混乱していた平成の初め、歴史認識をめぐり「河野談話」と「村山談話」という禍根を残す2つの動きがあった。
戦後50年の失敗を繰り返さないようにするには、先の戦争をよく調べ直し、その意味を今一度考え直すことも1つだろう。
時間はある。いや、足りないかもしれない。(千葉総局長)
産経ニュース 【羽成哲郎のぴーなっつ通信】 2014.1.4