2014年01月04日

◆日本人のお辞儀と握手

渡部 亮次郎


敗戦の1945年8月、私はわずか9歳、4年生。やがてアメリカ兵たちが占領軍として秋田市にもやってきた。旧八郎潟にやってきたアメリカ兵たちはシベリヤから渡ってきた鴨(かも)をカービン銃で狙い撃ちしていた。

そうしたある日、秋田市内の旧制中学に通っていた兄から「知事がアメリカの司令官に握手の手を差し出したところ、司令官に手を払われた」と聞かされた。「司令官は被占領民が握手を求めるなど失礼だ、と払ったのだ」と。

日本人はそれまで握手の習慣は無かった。相手にする挨拶はお辞儀と決っていたのだ。結論から先に言えば、日本に握手を持ち込んだのは国会議員たちである。

有権者と握手を繰り返すうち、腱鞘炎になる候補者は多い。

ヨーロッパを旅行すれば分かるように、彼らの祖先たる狩猟民族は獲物を追って森の中を駆け回った。その時、武器を手にした者同士がいきなり森の中で鉢合わせになる。どうするか。

武器は所持していても相手には敵意は持っていないことを示すために掌を空けて見せて握手を求めたのである。これがヨーロッパにおける握手の始まりだ、と高校の英語の教科書で習った。

挨拶の仕方は民族の数ほどあるといってもいい。我々は西欧の代表的な挨拶である握手を知っているだけ。その代表的挨拶の握手もギリシャ・ローマ時代からあったわけではなく、200年ぐらい前からという説もある。

おそらく近代になって平等思想が生まれ、相互に挨拶を交わす握手が民主的で身分の差を感じさせない方法として受け入れられたものと思われる。

手を改めるだけでは安心できない場合は、相手を抱きよせ背中をたたいて武器を隠していないか探る。(ラテン系、スラブ系に多い習慣)その後、安心して笑顔と共にもう一度握手するわけ。

握手の歴史がこのようなものだとすれば、握手は男性のもの。何故ならマナーとして男性が女性に握手を先に求めることは禁止されています。日本人はその微妙な呼吸を計るのに苦労するが、マナーとしては本当だろう。

一方、日本にはいつの頃か、文化先進国中国にもなかった相互に頭を下げて挨拶する、何回でも頭を下げることに抵抗感がない、習慣があった。

一説では高温多湿な日本では体を触れ合う行為は嫌われたともいわれる。人の体には一種の霊が宿るという原始信仰の名残りで他人の体に触れることを避けたのではないかと考えるひともいる。

明治になって脱亜入欧でヨーロッパの事物を盛んに取り入れた日本人が何故か握手の習慣には馴染めなかったのは注目に値します。高温多湿な気候のせいだけでは納得できないが。

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