2014年01月13日

◆「大東亜戦争肯定論」を読む B

平井 修一


吉田松陰と同じ意見を持つ人は実に多い。佐藤信淵(注1)に「宇内混合秘策」があり、橋本佐内(注2)に「日露同盟論」があることは有名すぎる。松陰の師である佐久間象山(注3)が同一系統の思想の持ち主であることは言うまでもない。

藤田東湖、平野國臣、真木和泉守、高杉晋作、中岡慎太郎、坂本竜馬の遺文の中にもこれと符節を合する「東亜統一論」を発見することができる。「西力東漸」に対する思想的反撃は幕臣たると陪臣たるを問わず、すべての「考える日本人」の胸中に生まれていた。

橋本佐内は「日露同盟論」でこう主張する。

「日本は東海の一小島、現在のままでは四辺に迫る外来の圧力に抗して独立を維持することは難しい。すみやかに海外に押し出し、朝鮮、シベリア、満洲はもちろん、遠く南洋、インド、さらにアメリカ大陸にまで属領を持って、初めて独立国としての実力を備えることができる。そのためにはロシアと同盟を結んで、イギリスを抑えるのが最善の道である。

ロシアは我が隣邦であり、これと同盟してイギリスと戦えば、たとえ破れても滅亡だけは免れる。しかも対英のこの一戦たるや、必ず我が国を覚醒せしめ、我が弱を強に転じ、これより日本も真の強国になるであろう。

正面の敵は英国であるが、今すぐに戦えと言うのではない。日本の現状では、それは不可能だ。一戦を交える前に、国内の大改革を行い、露国と米国から人を雇い、産業を興し、海軍と陸軍の大拡張を行わねばならない」

松陰も佐内も、この時代の苦悩から生まれた若い天才であり革命家であった。どちらも30そこそこで刑死したが、彼らの残したものは多かった。特に松陰門下には松下村塾の俊秀たちがいて、これが長州の藩論を動かし、やがて薩摩と結んで維新革命の主流となったことは人も知る通りである。

さらに言えば、「苦悩」は学者と志士だけのものではなかった。当時「名君賢公」とうたわれた藩主たちもまた、それぞれ共通の根から発した「国内改革案」と「東亜経略論」を持っていた。中でも水戸の徳川斉昭、越前の松平春嶽、薩摩の島津斉彬などの意見が注目に値する。

徳川斉昭には藤田東湖があり、松平春嶽には橋本左内がいた。が、島津斉彬の場合は、藩主自身の思想と実行が、西郷隆盛、大久保利通をはじめとする藩士たちを導き、啓蒙し、訓練した。斉彬は藩主として在位わずか7年、安政5年(1858年)7月に50歳で急逝したが、この間にペルリの来航があり、ハリス(米)、エルジン(英)、プチャーチン(露)が江戸に乗り込んでいる。

琉球が英仏艦隊の再三の訪問を受けて開港を強要された問題もさることながら、斉彬にとって重大な事件は、インドの崩壊と、支那におけるアヘン戦争と長髪賊(太平天国)の乱であった。

この乱は清朝打倒を目的としていたが、その極端な排外主義が支那分割の機会を狙っていた西洋列強に干渉の口実を与え、英仏連合軍の北京侵入となり、皇帝の逃亡となり、内乱の拡大となり、清朝は英人ゴルドン将軍の力を借りてようやく鎮定することができた。

この内乱の中に、斉彬は当時の東亜最大の強国であった清帝国の解体を予感し、やがてそれが日本の運命になりかねないことを憂慮した。(つづく)

             ・・・
注1)佐藤信淵(のぶひろ)は明和6年(1769年) - 嘉永3年(1850年)。江戸時代後期の絶対主義的思想家であり、経済学者、農学者、兵学者、農政家でもある。

「宇内混合秘策」は冒頭に「皇大御国は大地の最初に成れる国にして世界万国の根本なり。故に能く根本を経緯するときは、則ち全世界悉く郡県と為すべく、万国の君長皆臣僕と為すべし」と書いて、満洲、朝鮮、台湾、フィリピンや南洋諸島の領有等を提唱したため、大東亜共栄圏という思想の「父」であるという見解もある。

注2)橋本左内(さない)は天保5年(1834年) - 安政6年(1859年)。幕末の志士、思想家、越前国福井藩藩士。藩主の松平春嶽(慶永)に側近として登用され、14代将軍を巡る将軍継嗣問題では、春嶽を助け一橋慶喜擁立運動を展開し、幕政の改革を訴えた。

また幕藩体制は維持した上で西欧の先進技術の導入や、日本とロシアは提携の必要性があるなどといった開国論を展開した。井伊直弼の安政の大獄により斬首。享年26。

注3)佐久間象山(しょうざん、ぞうざん)は文化8年(1811年)−元治元年(1864年)。幕末の松代藩士、兵学者、朱子学者、思想家。

門弟の吉田松陰が密航を企て失敗すると、象山も事件に連座して伝馬町に入獄、その後は文久2年(1862年)まで、松代での蟄居を余儀なくされる。

元治元年(1864年)、象山は一橋慶喜に招かれて上洛し、慶喜に公武合体論と開国論を説いた。しかし当時の京都は尊皇攘夷派の志士の潜伏拠点となっており、「西洋かぶれ」という印象を持たれていた象山は河上彦斎等の手にかかり暗殺される。享年54。

彼の門弟には前述の松陰をはじめ、小林虎三郎や勝海舟、河井継之助、橋本左内、岡見清熙、加藤弘之、坂本龍馬など後の日本を担う人材を多数輩出し、幕末の動乱期に多大な影響を与えた。(2014/1/8)

      
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