2014年01月15日

◆「大東亜戦争肯定論」を読む D

平井 修一


マルキシズム系の文書だけではなく、いわゆる進歩的学者諸氏の著書を読 んでいると、天皇制ファッシズム、軍部ファッシズム、右翼ファシストな どという用語がふんだんに出てくる。その頂点に天皇が位し、日本国民を 欺き、強制して「無謀な戦争」に巻きこんだということを、これらの進歩 人諸士はほとんど先験的に信じ込んでいるようだ。

大変おかしな話だと私は考える。イタリーにおいてムッソリーニの政党 が、ドイツにおいてヒットラーの政党がそれぞれ政権を獲得していわゆる 全体主義国家をつくり、日本がこれと三国同盟を結び、大東亜戦争を遂行 したことは事実である。だから日本もイタリーとドイツと同じファッシズ ム国家であったという論理はきわめて俗耳に入りやすい。

と言っても、進歩的学者諸氏がこの俗説の発明者であるとは私は思わな い。発明者は米、英、ソ連をはじめとする当時の連合国側であり、第2次 世界大戦は彼らによって「ファッシズムと民主主義の戦争」だと規定さ れ、後者の“当然な勝利”によって終結したと説明され、理論づけられている。

日本の進歩的学者諸氏はこの連合国側の俗耳に入りやすい戦争イデオロ ギーまたはスローガンをそのまま受け入れただけであって、要するに、優 秀な俗耳の持ち主はまず彼ら進歩学者諸君であったということになる。

戦争における同盟が、同一の、または近似した政治的軍事的利害によって 結ばれることは古代からの戦争史の通則であるが、必ずしも同盟国の政治 体制が同質であることを必要としないし、その実例はきわめて少ない。

古代にさかのぼるまでもなく、第二次世界大戦における連合国側はすべて 同質のデモクラシー国家であったかどうか。米英、英仏、仏蘭、さらにこ れら諸国とソ連または当時の中華民国との政治体制との差異を思い起こし ていただくだけで、説明は不要であろう。彼らは「ファッシズム対デモク ラシー]のスローガンによって、連合してそれぞれの自国の利益を守った だけである。

日本がもし当時のムッソリーニまたはヒットラー流の「ファッシズム国 家」であったならば、話は簡単である。こんな長々しい「論文」を書くか わりに、進歩人諸君とともに日本の敗戦と日本ファッシズムの壊滅を祝 し、デモクラシー万歳を唱えれば、それですむ。

だが、調べれば調べるほど、この「万歳」は簡単に唱えられないことが分 かってきた。頭山満と内田良平がムッソリーニに似ていないように、東条 英機も石原莞爾もヒットラーには似ていない。2.26と5.15の青年将校たち はナチの突撃隊員とは全く違う。

学者なら、まずこの差異から研究を始めるべきである。戦勝諸国からの舶 来品に違いない「天皇制ファッシズム」「軍部ファッシズム」「右翼ファ シスト」などの用語を、自分の頭脳で再検討することなしに、その著書の 中に用いることは、慎重なるべき学者教授諸士の名誉とは言えまい。・・・

数年前に、メキシコを訪れたとき、革命家で画家のディエゴ・リベラがメ キシコ民族の歴史を描いた大壁画を見た。メキシコの古代民族マヤ族とア ステック族の打ち立てた帝国の繁栄と壮麗を再現した部分は、どこの国の 神話よりも美しかった。

メキシコ独立戦争を描いた部分はどの戦争絵巻よりも勇ましく壮烈であ り、現代の工業化と労働者農民の解放を描いた終曲には、メキシコ民族へ の愛情と洋々とした未来への希望が鳴り響いていた。

リベラはマルクス主義の影響を受けていた革命家で芸術家であったが、同 時に熱烈な愛国者であり、この3つの資格の間に毛筋ほどの隙間もなかっ た。どんなに現代を批判し、悪政に反抗しても、メキシコ民族の歴史その ものを醜化し嘲笑し、これを汚すようなことはしていなかった。むしろ歴 史を美化しすぎていると外国人の私には感じられたほどの美と力にみちた 壁画であった。

私は日本の現代史としての「東亜百年戦争史」を書き進んでいるが、画家 ではないからリベラのような美しい画は描けない。また、美術家でない文 学者としては、美しすぎる画を描いてはいけないと信じている。

ただ、敗戦後の日本の「進歩的」歴史家たちによって野放図に醜化され歪 曲された日本歴史の解釈には断固として抵抗する。あったがまま、あるが ままを書けばいいのだ。日本という国の歴史はそのままで他の国々の歴史 に劣らず美しいのだ。同時に多くの美しくない面も含んでいるが、それは またそのままで、私たち日本人にとっては貴重である。

大東亜戦争の解釈についても言える。私はこの「大東亜戦争肯定論」でも誇 張された醜化と誇張された美化を避け、あったがままに書き記す。文学者 は己を偽ることができないように、対象を偽ることができない。私は画家 でも革命家でもないが、ただ文学者・歴史家・愛国者の3つの資格の完全 な一致を願う点で、メキシコ市におけるディエゴ・リベラの態度を学びたい。(おわり)(2014/1/10)

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