2014年01月17日

◆驚き!韓国人の「願望史観」

平井 修一


the-prayerさんからコメントをいただいた。

<戦争中の事実は歴史が明らかにするとして(米国における)韓国ロビー活動は日本国を敵国として扱っています。これは韓国の憲法の前文からきています。このような憲法をもつ国は世界広しといえども見たことがありません>

「韓国憲法の前文」というのは何か。「シンシアリーのブログ」にはこうあった。

<日本の敗戦後の1948年7月12日、建国時の憲法の前文から紹介ます。

「悠久の歴史と伝統に輝く私たち大韓国民は己未三一運動で大韓民国を建立し、世界に宣布した偉大な独立精神を継承し、今や民主独立国家を再建する」

3.1運動で大韓民国を建立・・・って何の冗談だ?と思われるかも知れませんが、韓国は韓国という国の歴史の流れを「大韓帝国→併合時代→大韓民国」ではなく、「大韓帝国→臨時政府→大韓民国」としています。

3.1運動時の宣言文で臨時政府が出来たことになっており、臨時政府の理想を受け継いだからこんな見方になっています。

1962年12月26日、第5次改憲の時、前文が随分変わりました。

「悠久の歴史と伝統に輝く私たち大韓国民は3.1運動の崇高な独立精神を継承して4.19義挙と5.16革命の理念に立脚して、新しい民主共和国を建設する」

1972年12月27日、第7次改憲。

「悠久の歴史と伝統に輝く私たち大韓国民は3.1運動の崇高な独立精神、4.19義挙と5.16革命の理念を継承し、祖国の平和的統一の歴史的使命に立脚して、自由民主的基本秩序をさらに強固なものにする新しい民主共和国を建設する」>

祖国の平和的統一も建国時からの理念だと書き改めたのだ。都合のよいように歴史を書き換えるのが彼らのやり方のようだが、どうも政権交代=新国家樹立と考えているのかもしれない。

「3.1運動」は1919年3月1日から日本統治時代の朝鮮で起こった運動。大韓帝国初代皇帝高宗の急死後、国葬が行われる3月3日に向けて独立運動が計画されるようになった。中心となったのは天道教やキリスト教、仏教の指導者たち33名で、3月1日、京城(ソウル)中心部のパゴダ公園に集い「独立宣言」を読み上げることを計画した。

パゴダ公園には数千人規模の学生が集まり、その後市内をデモ行進した。道々「独立万歳」と叫ぶデモには次々に市民が参加し、数万人規模になったという。3月から5月にかけて集計すると、デモ回数は1542回、延べ参加人数は205万人に上る。

その過程で暴徒化した群集を朝鮮総督府が武力鎮圧する際、死傷者が出た。日本側、朝鮮側の被害は諸説ある。総督府による鎮圧と慰撫政策の結果、運動は次第に終息し、1945年(昭和20年)の日本敗戦に至るまで大規模な運動は起こらなかった。

「4.19義挙」あるいは4月革命とは、1960年に民衆デモにより李承晩大統領が下野した事件。最も大規模なデモが発生した日が4月19日であったことから4.19革命とも言う。

「5.16革命」あるいは5・16軍事クーデターは、1961年5月16日に、後の韓国大統領で当時少将だった朴正煕などが起こした反乱。朴正煕は1942年、満洲国軍軍官予科を首席卒業、同年日本陸軍士官学校に編入(57期相当)、1944年に日本陸軍士官学校3位卒業、1945年8月、満洲国軍中尉で終戦を迎えている。

1963年10月に大統領に就任し軍事独裁体制を築いたが、日韓基本条約の締結を行い、日本の支援を得て「漢江の奇跡」と呼ばれる高度経済成長へと結びつけた。韓国はこの経済成長により最貧国グループから脱した。

朴正煕と安倍総理の祖父、岸信介は昵懇だが、娘の朴槿恵は朴正煕について「当時の政権下で弾圧されて苦痛を受けた被害者とその家族に心から謝罪する」と述べているから「漢江の奇跡」を評価していないようである。不肖の娘。閑話休題。

韓国では時の政権が正当性を主張するために憲法前文で歴史を書き換えているわけだが、東洋史家の宮脇淳子氏曰く「韓国人にとっての歴史とは、こうであってほしかった、という願望そのものでもあるのです」。変な国。 (2014/1/16)

この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック