2014年01月18日

◆小野田寛郎さん死去、30年間潜伏

渡部 亮次郎


このニュースに私は強烈な思いでがある。

<戦争が続いていると信じフィリピン・ルバング島に30年間潜伏を続けた元陸軍少尉で、ボランティアなどを養成する「小野田自然塾」理事長の小野田寛郎(おのだ・ひろお)さんが16日午後4時29分、肺炎のため都内の病院で死去したことが17日、分かった。91歳だった。葬儀・告別式は親族のみで行う。後日、お別れの会を開く予定。

遺族らによると、体調を崩して6日から入院していたという。

大正11年、和歌山県亀川村(現海南市)で生まれ、昭和19年に諜報員などを養成する陸軍中野学校を卒業後、情報将校としてフィリピンへ派遣。20年の終戦後も任務解除の命令が届かず、ルバング島の密林にこもって戦闘を続け、49年3月に任務解除命令を受けて帰国した。

50年にはブラジルへ移住し、牧場を開業。平成元年には小野田自然塾を開設し、ルバング島での経験を基にキャンプ生活を通した野外活動などでボランティアの育成などに尽力した。近年は都内で生活し、国内各地で講演を行っていた。>産経ニュース 2014.1.17

小野田さんの帰国については強烈な思い出がある。ルバング 島で彼が「投降」の形で姿を近くあらわすというので、私はテレビ中継班の一団を引率して大阪放送局から海南市の実家にはけんされた。

なかなかあらわれない。民放は一旦諦めて大阪に引き揚げていった。滞在中は1日で何十万円もかかるからである。しかし局は判断を「お前に任す」という。

考えあぐんだ末、東京の園田直代議士のもとへ電話して助言を仰いだ。彼は戦場に11年もいた猛者だ。

「ナベしゃん、それは明日たい。あす3月10日は陸軍記念日だもん」。それで私は滞在を1日延長する許可をとった。

果たして現地で小野田さんは翌日「投降」した。実父や実母とのインタヴューはNHK特ダネとして世界に流れた。小野田さんのご冥福を祈る。

なお、後日、私は園田外務大臣の秘書官になった。

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