2014年01月19日

◆政治記者 岩見隆夫さん死去

山田 孝男


〜評伝…温故知新、自在の筆〜

岩見隆夫さんは軟派の政治記者だった−−。

2000年、文芸春秋が企画した、生前の著者自身による「私の死亡記事」の中で、当時64歳の岩見さんは、自分についてこう書いている。

「『ゴシップこそ新聞の原点』が口癖で、軟派的な政治記事を編み出すのに腐心した……」
新聞社では政治・経済を硬派、事件や街ダネなどを軟派と呼ぶ。社会部から31歳で政治部に移った岩見さんは、無味乾燥な政治記事に新風を吹き込むことに情熱を注いだ。

初期の結晶が、現代教養文庫のベスト・ノンフィクションシリーズに収録されている「政変」だ。

1974年、田中角栄首相退陣前後から後継・三木武夫指名に至る政界の暗闘を、同時進行の新聞連載で描破した。岩見さんは取材班キャップで筆者。政治部の総力取材を自在の筆で連載小説ばりにまとめ、大反響を巻き起こした。

岩見さんの代名詞になったコラム「近聞遠見」は89年から昨年12月まで24年余り続いた。当初、人物論中心の政治コラムは例がなく、社内に強い反対があったものの、それを押し切って始まったと聞く。

私は当時、前線で自民党を担当していた。ある派閥の幹部が「キミんとこの岩見のありゃなんだ? 古い話ばっかりじゃないか」と毒づいたのを覚えている。

さもありなん。「近聞遠見」の主題は温故知新である。政治家の最新の言動や予算、外交や国会の日程だけが政治情報だと考える人には「近聞遠見」は分かるまい。

だが、表には表れない政治家の心理、人情、事そこにいたる歴史的経緯を明かし、幅広い読者に支持された。「岩見はもう古い」と何度も言われながら、しばしば特ダネを放ち、未到の長期連載になった。

岩見さんと親交のあった作家の丸谷才一さん(故人)は、岩見さんの仕事についてこう語っていた。「政治と言葉という明確な主題があり、常によい文章を書く」

岩見さんの膨大な仕事の中から、代表的なものとして「サンデー時評」(サンデー毎日連載)と「陛下の御質問」を補いたい。

酒豪、愛煙家。後輩の面倒見は抜群だった。春、東京・四谷の土手で開かれる岩見桜(観桜会)は千客万来、談論風発、毎日新聞の新人研修の道場でもあった。

昨年5月、肝臓がんの末期と診断され、入院が続いていた。最後にお見舞いしたのは今月7日。意識はしばしば混濁した。辞去しかけた私に強い口調で呼びかけられた。「オイ、いいのか? 見て行けよ、新聞記者は現場だぞッ」

私にとっては、それが最後の言葉だった。みごとだと思った。最後まで励まされた。岩見さん、ありがとうございました。【専門編集委員・山田孝男】

<毎日新聞(最終更新2014年 01月19日 02時06分)>


◆(「百家争鳴」主宰者より)
 謹んでお悔やみ申し上げます。岩見隆夫氏は、本誌の寄稿者で、今年1月2日に「年初、安部、大江の公開討論を」を寄稿して頂いたのが「最後」となりました。

岩見隆夫氏は、私が政治記者の新人の頃、「官邸記者クラブ」でお会いし、いろいろお話したことを想い出します。先輩の「頂門の一針」主宰・渡部亮次郎氏とも大変仲のいい方でした。政治評論は見事なものでした。

改めてお悔やみ申し上げます。


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