2014年01月24日

◆マシュマロ君、元気かね

渡部 亮次郎


見出しにしたマシュマロとは丸いしふにゃふにゃした菓子である。精力の衰えた男性をからかう科白(せりふ)に使われる。

話題にこれを持って来たのは、総理大臣が衆議院議長の権勢をやんわりとしかし強く牽制するために、前夜の房事で君がマシュマロ状態だったのをオレは知ってるんだぜ、との意味を、肩を叩いて口に出した故事を持ち出して、情報収集の今昔を話そうというのである。

男性の精力。個人差は大きいというが、最も強いのは17歳ごろで、あとは次第に衰えるとの説がある。以後、若人は中年、壮年、老年と進んで死ぬわけだが、伴って生じる地位や権勢、所得がどこまで高く多くなっても、肉体の持つ精力が衰えてはなんとも味気ない、と嘆くのは大体、成功の人生を送った男である。

精神的な勢力の権化(ごんげ)こそは政治家だとは良く言われることだが、体験からするに政治家こそは肉体的にも精力の強い者でなければ勤まらない。

田中真紀子の父親の角栄氏が1970年前後、自民党幹事長を勤めた頃、国会で野党を抑えて採決を強行しようとする寸前、泣くような表情で「ちょっと、ちょっとにわとり、鶏」といいながら姿を消した。

記者たちはそれならばと現場指揮の国対委員長を探すと、こちらも秘書にも言わずに姿を消したという。野党も殺気だって来る。

田中幹事長はにわとり,にわとりといって姿を消したがなんの意味か。考えて、なるほど、オレは鶏のようにあっという間に(房事を)終わって来るから行かしてくれ、目をつぶってくれと言う意味だったのだ。

敵を攻めに行くとなると戦国武将は俄然、性欲が昂然ときざしたものだと何かで読んだ事がある。幹事長と国対委員長は現代の戦(強行採決)を目前にして戦国武将になったのだ。

第二次大戦の最後のところしか体験していない当方に戦国武将は理解できない。しかし幹事長らは間もなく戻って、国会は採決強行で大混乱。しかし幹事長らは既に涼しい顔だ
った。

政治家のそうした性(さが)を知ってそのウラをかき続けたのが佐藤栄作である。後に総理大臣となりさらにノーベル平和賞も受賞する佐藤だが、「人事の佐藤」と言われる前から「早耳の佐藤」と言われていた。

運輸省(今の国土交通省)事務次官からいきなり内閣官房長官に抜擢さ乞われて政界入りした佐藤は、外交官上がりの宰相吉田茂に重用され続け若くして自由党幹事長に達した。その時に危機が訪れる。

大汚職事件・造船疑獄の容疑者の一人に数えられ東京地検に逮捕寸前に追い込まれる。そこで吉田首相が伝家の宝刀を抜くが如く法相に指揮権を発動して捜査をやめさせるよう命じ、佐藤を逃がした。佐藤はこれが無ければ後世、首相に昇ることは叶わなかっただろうと言われた。

佐藤はこの頃から政界の弱点こそはヘソの下に有りと感得。赤坂、新橋、柳橋といった花柳界における政治家の隠れた動静の掌握(つかむこと)に励むようになる。

後年アメリカではニクソン大統領が上下両院議員の弱点掌握に努め、法案の通過に利用したと言われた。有名なウォーターゲート事件はその一環だったと言われたものだ。

ところで佐藤が目をつけたのは、料亭の玄関に立っている下足番の男たちである。料亭では客は必ず靴を脱いで上がるが、その靴を下駄箱に座敷ごとに整理して置かないと帰りの時に混乱するから、予め女将から今夜のお客はどこの座敷は、どなたとどなたと聞かされている。

どの座敷では如何なるメンバーが会っているかを手に取るように知っているわけだ。何時に来て何時ごろ帰ったか、上機嫌だったのは誰で、誰はどのように不機嫌だったとか。

佐藤はその手を何軒の料亭にも使っていた。秘書がメモを回収し、酒を飲めない佐藤は夜のうちに情報のいわば分析を済ませていた。マシュマロ君、どうかねの科白はこうして簡単に出てきたのである。

君は男としての能力は低下しているらしいね、困ったね、僕はそれを知っているよと言われれば、男は昨夜の秘密をこの男は何で知っているんだとの疑問を持つより先に恐れを抱くだろう。昔から朝何とかの立たない奴にカネは貸すなの喩えがある。マシュマロの旦夕(たんせき=政治生命)は長くないよ。

佐藤はそうやって党の内外を掌握して行った。ヒマさえあれば国会議員の経歴簿を見ている佐藤だった。

大なり小なり国会議員は自分が生きるも死ぬも情報を早く得る事にあるとは知っているから、どんな情報も知りたがる。しかし佐藤のように花柳界にまで特別な方法を尽くしてまで情報を集めた人物はほかに知らな
い。

翻ってマスコミの情報収集は、少なくとも永田町に関する限りは記者会見に限られるのが今日この頃である。いや、朝駆け夜回りもしているよといってもそれらもまたすべて群れてやるから、本当の情報は掌握していない。

政治家は情報を得たいからマスコミに会う。その時は一度に多数が良い。しかし情報を漏らすのは一対一でなければならない。漏らした情報がどこの誰によってどのように漏れて行ったかが判らなくては困るからである。

従って記者の取る情報は政治家と一対一(差し)の時に得たものでない限り信憑性に欠けるといわざるを得ないことになる。嘗て小泉首相が毎日マイクの前に来て喋る一言などは真実からは程遠い。自分の都合の良いことを短く切って言っているだけである。短い方がテレビ局のデスクには好都合だと知っているからである。

そうやって世の中を見直して見ると今更ながら気のつくことは幾らでもある。テレビは見ない方が自分を守ることである。また例えば授業で先生がしつこく喋る箇所は試験に必ず出る。先生は得意のところだから、生徒、学生に覚えてほしいからである。このエッセイは例えばこの4行に眼目がある。これまではここまで解説するのは失礼かと慮って書かなかった。(文中敬称略)
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