2014年01月29日

◆「戦争と共産主義」を読む @

平井 修一


学者はよくこう言う。「あの戦争が何であったか、コミンテルン(ソ連による国際共産主義運動)の影響も考えるべきだ」。ということで数か月前からGHQが発禁にした奇書「戦争と共産主義」(1950年)を探していたが、ようやく図書館のおかげで手にできた。

「大東亜戦争とスターリンの謀略――戦争と共産主義」とタイトルが変更されており、1987年に復刊されたものである。つまり37年間も地下に眠らされていたことになる。GHQにとっての「不都合な真実」が書かれているのだ。

著者は三田村武夫である。彼の生きた日本、世界も激動期だったが、彼自身の人生もすごい。

<1899年6月 - 1964年11月。政治家、官僚。岐阜県揖斐郡大野村生まれ。内務省警保局、拓務省管理局勤務を経て、1937年、衆議院議員に当選し議員活動を開始。1943年9月6日、警視庁に逮捕される(言論、出版、集会、結社等臨時取締法違反)。

1955年2月、第27回衆議院議員総選挙に日本民主党(岐阜1区)から立候補、当選。1958年5月、第28回衆議院議員総選挙に自由民主党から立候補、当選。1963年11月、第30回衆議院議員総選挙に自由民主党から立候補、当選。正四位勲二等>(ウィキ)

波乱万丈。逮捕する側から逮捕される側になったのはどういうわけだろう。そのうちハッキリするはずだ。さあ、読んでいこう。

・・・
■まえがき

悪夢の15年――満洲事変から敗戦まで、我々日本は、まるで熱病にでもつかれたごとく、軍国調一色に塗りつぶされてきた。思えば軍歌と、日の丸の旗と、万歳の声で埋めつくされた戦争狂躁曲の連鎖であったが、この熱病の根源は果たして何であったろうか。

今日の一般常識は、軍部だ、軍閥だということになっている。東京の軍事裁判で明らかにされたとおり、この軍部、“軍閥の戦争責任”については私も異論がない。

しかしながら、この軍閥の演じた戦争劇は、果たして、真実、彼らの自作自演であっただろうか。熱病の疾患部は、たしかに軍部であったし、戦争狂躁曲のタクトを振り「無謀な戦争劇」を実演したものもたしかに軍部であったが、その病原菌は何であったか、また作詞、作曲者は誰か、脚本を書いたのは誰か、という問題になると、いまだ何人も権威ある結論を出していない。これは極めて重大な問題だ。

私は昭和3年(1928)6月から7年(1932)1月まで、内務省警保局に勤務し、いわゆる3.15事件(注1)以来、日本の思想界を「赤一色」に塗りつぶし、思想困難の叫ばれた時代の約4か年間、社会主義運動取締の立場から、共産主義の理論と実践活動を精密に調査研究する事務に携わってきた。

次いで7年10月から10年(1935)6月まで、拓務省管理局に勤務し、再び朝鮮、満洲、中国を舞台とした国際共産党(コミンテルン)の活動に関し、表裏両面の調査研究に没頭してきたが、この頃は、満洲事変後の政治的激動期で、国際的には第二次世界大戦の危機が叫ばれ、国内的には軍部の政治的進出が著しく積極化し、その裏面では、コミンテルンの極東攻勢が著しく前進態勢をとってきた時代であった。

次いで私は11年(1936)2月の衆議院議員総選挙に立候補し、爾来10か年間、今度は逆に憲兵と特高警察から追い回される立場に立ち、反政府、反軍部的政治闘争に専念し、ついに捕えられて巣鴨まで行ってきた。

この政治運動に身を投じてからの最大関心事は、激変する国際情報と第二次世界戦の嵐の中で、モスクワを本拠とする共産主義運動が、いかなる戦略戦術を展開していくか、さらに軍閥の独善的戦争推進の背後にあって、世界革命への謀略コースをいかにして推し進めていくかを、怠りなく注視し研究することであった。そして、その間に私が体験し、調査し、研究して得た結論が本書の内容である。

その内容が、今までほとんど世間に知られていない「秘められた事実」を取り上げたものなるが故に、おそらくいろいろの話題を提供し、また事件関係者の中には新しく責任問題の起こってくる人もあるであろう。この点について一言しておかねばならない。

第一に、本書で取り扱っている事件または資料、たとえば尾崎・ゾルゲ事件、企画院事件の内容、昭和研究会の性格などが、なぜ今日まで世間に知られていなかったかという点である。

これは軍閥専制政治の独善的重圧と、日本の特殊な政治環境のために、政府官憲の方針によって全く秘密のままにされてきたのである。すなわち軍部や政府に都合の悪いことは一切発表を禁止してきたし、共産党関係の事件のごとき、こと国体問題ないしは皇室に関係ある事件は、一般に及ぼす思想的影響を恐れて世間に公表しない建前になっていたのだ。

顧みて言えば、このために一般国民は、自らの運命に重大な関係を有する重要問題の前に起ちながら「目隠し」をされて、問題の本質を知る機会すら与えられなかったのである。

第二に、本書の内容に関し、ある方面、たとえば共産党関係の諸君、または謀略活動の表裏に踊った人々は、デマだ、創作だというかもしれない。しかし事実はあくまでも厳然とした事実だ。近頃「駆け出し」の共産主義者には意外な感を与えるであろうが、真実のコムミニストは、心の奥深く秘めた「われらの輝ける記録」としてひそかに誇っているに違いない。

また、謀略戦上に踊った人々が、自己の演じた役割を自認していたか否かを私は問題にしない。問題はあくまでも「客観的事実」であって、もし当人が「自分は知らなかった」「そんな考えではなかった」と言うならば、「無知と無定見を暴露」する以外の何ものでもない。・・・

第四に、私は本書を公にすることに何らの政治的意図をもっていない。本書の中には、私的関係において親しい友人も出てくる。私情においては忍び難いものであるが、事実は事実としてあくまでも公正な批判に訴えることが、過去における公的立場に立った私の責任感である。

もっとも幸福な人類社会には「嘘」と「ごまかし」があってはならない。正しい民主主義社会においては、思想と行動に「裏」「表」があってはならない。私は自分の過去の思想行動に関していかなる批判をも甘受する覚悟で本書の筆をとったのであるが、ただ一転遺憾なことは、現在の私は、今日の政治を論評する自由を持たないがゆえに、戦時中の政治責任と終戦後の政治責任の連帯性を論じえない不徹底さのあることだ。

第五に、資料はすべて私の責任において集めたものである。資料以外の事実はほとんど全部、私自身直接確認したものであることを付言して責任の所在を明らかにしておく。
(つづく)
            ・・・
注)3.15事件:田中義一政友会内閣のもとで政局安定の一助として、1928年(昭和3)3月15日を中心に共産党員が治安維持法違反容疑で大量に検挙・起訴された事件。(2014/1/26)

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