2014年04月03日

◆「南京大虐殺はなかった」を読むC

平井 修一


■虐殺論者とそのウソ(2)

さらに、偏向的事後取材により「南京大虐殺」を盛んに主張する例を挙げます。

朝日新聞の本多勝一という記者が「中国の旅」という本を書いています。これは彼が戦後、満州・中国に行って、日本人がそんなに悪い事をしたかを中国人に取材して、全く無批判に鵜呑みにして書いたものですが、その内の南京関係の例をあげてみましょう。

イ)姜根福の証言。

日本軍は南京城北の燕子磯で10万人くらい機関銃で射殺した。紫金山で2千人を生き埋めにした。あるいは軍用犬に中国人を襲わせ、その人肉を食わせた。城内で20万人を虐殺、死体を積み上げて石油をかけて焼いた。

ロ)伍長徳の証言。

南京戦直後、日本兵に銃剣で肩を刺されたが逃げ、揚子江に飛び込んで、日が暮れるまで水中に隠れていた。日本軍は逮捕した青年を高圧線にぶら下げてあぶり殺し、工業用硝酸をかけて殺した。

ハ)李秀英(女性)の証言。

日本兵に強姦されそうになり抵抗、その銃剣を奪って格闘して追い払った。しかし37ヶ所も刺されて気絶していたのを、親族の者達に助けられた。・・・

2000人を生き埋めにするための労力と時間と穴の大きさは、どれ程のものであったのでしょうか?

軍用犬に人を襲わせて、その肉を食わせるなどという馬鹿なことがあり得るのでしょうか?

石油や工業用硝酸を、戦場でいつ、どこで入手したのでしょうか?

揚子江は確かに冬でも凍りはしませんが、12月の揚子江に飛び込んで、首だけ出していて一体日が暮れるまで我慢できるのでしょうか?

高圧線に、どうやって人間を吊り下げるのでしょうか?

当時の日本兵は現役バリバリで士気も高く、女性と格闘して銃剣を奪われ、尻尾を巻いて逃げ出すような情けない兵士がいる訳がありません。37ヶ所も刺されて失神した者が、また蘇生するなどという事があり得るでしょうか?

どれ1つ取ってもすぐウソだと判る事ばかりです。

それを本多勝一記者は、「なるほど、ごもっともです」とそのまま本にしているのです。

本多記者については、「朝日の中には、本多君に対して良くない感情を持っている人が沢山いる」という事を朝日新聞の同僚の記者が言っていますし、又石原慎太郎氏は平成3(1991)年の「文藝春秋」に、「朝日には本多という奇妙な性格の記者がいて、盛んに南京虐殺のことを書く」と言っております。

本多勝一記者は「日本の子弟に国際性を持たせるため、南京大虐殺の教育を徹底させる必要がある」と言っています。私は売国奴、何を血迷ったか、妄語断じて許すべからずと、憤りに駆られます。

「隠された連隊史」という本を、共産党「赤旗」の下里正樹という記者が書いております。これには私の属しました福知山歩兵第20連隊のことが書かれています。

大体、共産党の機関紙の記者が書いたものですから、内容は読まずとも知れたものですが、私の連隊のことを書いているものですから読んでみますと、よくもまぁこれだけ大ウソを書けたものだと思うくらいのものです。

 イ)「歩兵第20連隊では兵士が上官の指揮を批判し、命令に反抗し、将校はひたすら兵に迎合して兵の非行も黙認し、部隊内には下克上の空気蔓延し、将校の権威も指導力も全く零であった」

私は第20連隊の中隊長として、兵士の機嫌を取らねばならない等と、思った事さえ1度もありません。常に部下の兵士と共に、お互いが信頼しあって戦ってきたのです。

その結果もう半世紀も経った今もなお、当時の戦友会が毎年開かれているのです。

来月の7日にも、私の中隊の戦友会が京都府の綾部で行われますが、例年のごとく、「隊長殿、是非出席して下さい」と招待されております。将校が兵士の機嫌を取らねばならなかった軍隊で、そんなことが続けられるのでしょうか?

また私が十数年前に大病で下関で入院したことがありますが、当時の部下の多くは京都府に住んでいるのですが誰かれ言うとも無く、「隊長殿がひどい病気だ」ということで、知らぬ間に多額の見舞い金を送ってくれました。私はベッドで感激の涙にむせんだ事でした。

将校と下士官・兵の心が離れていたならば、こんなことはあり得ないと思います。これは私の場合だけではなく、中隊長と中隊の兵士の気持ちがしっかりと結ばれていなければ、激戦を戦い抜くということは出来ないのです。

 ロ)「日露戦争の際、歩兵第28連隊(北海道旭川)の兵2千人が捕虜になり、戦後恥ずかしくて日本には帰らず、ハワイに移住した者もある」

これもまた、ものを知らずに書いたにしてもあまりにひどいじゃないか、というものです。1個連隊は約3千人ですが、そのうち2千人が捕虜になったなどということはあり得ないことです。

私に言わせれば、下里正樹は「私はウソを書いております」と、自分で白状しているようなものであります。「天に向かってツバをする」とはこの事でしょう。

学者の中にも、盛んに虐殺を主張する者がいます。何人もいる中で2、3人の人を取り上げますと、

1)洞富雄 元早稲田大学教授

「南京大虐殺の証明」という著書の中には私の名前も載っていますが、その中で便衣隊の兵隊を殺したのも虐殺であると言っております。

しかし、戦時国際法で便衣隊は捕虜として認めておらず、従って捕虜としての権利は与えられて無いのです。だから便衣隊を処刑するのは、捕虜を処刑することにはならないのです。

便衣隊というのは、軍服を脱いで非戦闘員を装い、しかも武器を隠し持って油断を見澄まして危害を加える者を言います。軍隊は非戦闘員を攻撃することは許されませんので、非戦闘員を装った敵は危険極まりない存在です。

従って戦時国際法は、便衣隊のような存在には正規の兵士が受けるべき権利を認めていないのです。

それを洞富雄氏は、「便衣隊は軍人ではないのだから、殊(こと)に戦争が終わって戦意が無くなったのだからこれを殺すべきでない」と主張するのです。

しかし、現実に堂ノ脇という参謀が便衣隊に襲われ、乗っていた車の運転手が殺されています。戦争の現実も、戦時国際法の規定の意味も知らない暴論と言わざるを得ません。

2)秦郁彦 日本大学教授

この人はなかなかよく調べてはおられるようなのですが、私共から見るとその調べ方が極めて杜撰(ずさん)です。

後に触れますが、曽根という元兵士がとんでもないことを書いているのを、もう少しよく調べればウソだと判るのに、非常に高く評価しております。私はこの人には面識がありますが、このことは秦氏の失敗だと思います。

3)藤原彰 元一ツ橋大学教授

この人は陸軍士官学校卒業(第55期)という経歴を持つのですが、終戦後大学で学んで、日本現代史、特に軍事史を専攻しています。

これが虐殺論者の学者を集め、南京事件調査研究会の現地調査団長として昭和59(1984)年12月、約1週間中国に参りましてご馳走を食べさせられ、戻って来て「南京大虐殺」という報告書を書いてひたすら中国のお先棒担ぎに汲々としております。

私共に言わせれば、「汝、ブルータスもか!」と言いたいところです。
(つづく)(2014/3/31)
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